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セミリタイヤしたら猫になれるのか?という素朴な疑問について

昼食で会社の外に出た帰り、ラーメン屋近くのブロック塀の上で、大きくアクビをする子猫を見かけた。

ちょうど台風の合間のわずかな晴れ間だったので、子猫の毛は少し雨に濡れていた。

僕は窮屈なスーツに、夏だというのにネクタイを締めていたが、子猫は薄い体毛以外には何もまとってはおらず、軽やかにブロック塀の上を歩いていた。

その様子をしばらく見ていると、足の指を革靴で圧迫され、ネクタイで首を絞めつけられている自分が、なんだか憐れに思えてきた。

多分、ジーンズにスニーカーを履いていたら、こんな気分にはならなかったのだろうが、正直その子猫がひどく羨ましかった。

僕もできればブロック塀の上によじ登って、自分のバランス感覚がまだ保たれているのかを確かめてみたい。

そんな想いに駆られたが、スーツ姿でそんなことをしたら、道行く人には変な目で見られるだろうし、警官に見かけられたら交番まで連行されてしまうだろう。

僕はスーツというユニフォームをまとうことで、資本主義という永久スパイラルに組み込まれている部品のようなものだ。

だから、資本主義の土台を構成している、社会的常識から外れた行動を取るわけにはいかない。

ーだけど、ちょっと待てー

セミリタイヤしたら、ブロック塀の上によじ登って、あの子猫と同じように軽やかに歩けるのだろうか?

ふと、そう思った時だった。

子猫が少し足を止めてブルッと震えた瞬間、体毛に絡んでいた水滴がはじけ飛び、一瞬だけ雲の隙間から射し込んだ太陽の光を、キラキラと反射した。

🐈 🐈 🐈

最近、セミリタイヤについて書かれた本や、ブログ記事をよく見かける。

どうやら、セミリタイヤに憧れる若い方も結構多くいるようで、そういった方たちは、主に高配当株に投資をして、強固なインカムゲインの基盤を作ることに力を注いでいることが多い印象だ。

様々な媒体で書かれているセミリタイヤに関する記事や、ツイートなんかを見る限り、セミリタイヤの定義とは、要するにサラリーマンや自営業で必死に働くことをやめ、毎日自分自身の時間を自由に使える状態を継続的に続けられることを指すように思う。

そして、自分自身の時間を自由に使うために、セミリタイヤにはある程度の資産が必要だとされている。

そういった記事を見たりして、自分もセミリタイヤをしてみたいと思うことが、正直たまにある。

しかし、それは単に漠然とした想いなので、セミリタイヤをして何をしてみたいかとか、セミリタイヤした後の生活が実際にどんな感じなのか、あまりリアルに想像したことはない。

ところで、最近ひとつ疑問に感じたのだが、セミリタイヤとは全く仕事をしない状態のことを指すのだろうか?

リタイヤ=引退という言葉が入っていることから、セミリタイヤ=全く仕事をしない状態だと以前までは思っていた。

だが、恐らくそれは違っていて、セミリタイヤをしている方の多くは、ブログを執筆したりネットビジネスを手掛けていたりと、何らかの経済活動をしている場合が多い。

要するに、セミリタイヤの状態ではあっても、自分の得意分野や好きなことで、ある程度の金稼ぎはしているということだ。

会社の人間関係に気を揉むこともなく、満員電車でストレスを溜め込む必要もない。それに朝早起きしなくても誰にも怒られない。

そして、たまに自分の好きなことで金を稼ぐ。

その状態は、何となく猫に似ている。

それも、完全な野良猫ではなく、神社なんかで寝そべっている地域猫に。

台風の間のかすかな晴れ間に子猫を見てそう思い、今こうして窓を叩く雨音を聞いてそう思った。

🐈 🐈 🐈

最近だろうか、いや、もう十年以上も前から、書店で猫の写真をまとめた本をよく見かける。

そのほかにも、猫カフェや猫をキャラクター化したゲーム、それから飼猫の様子をネット動画投稿サイトのユーチューブで流す人もいる。

日本人は猫が好きな人が多い。

数年前のことだが、湖の近くを歩いていた時、ベンチに茶色い猫が座っていた。

そして、その猫をファインダーに収めようと、20代前半くらいの若い男性が、草むらの間から猫がいるベンチに向かってカメラを向けていた。

「その写真、どうするの?」

なんとなく、話しかけてみると、

「家のパソコンに落として、たまに見たりします。猫の写真を集めてるんですよ」

丁寧な口調そう答えてから、彼の視線は一眼レフの画像へとすぐに戻った。

真剣な目で自分が撮った猫の画像を見つめてから、彼の口が少し口がほころんだ。

「猫って結構いろんな表情をするんですよ」

彼が弾んだ声でそういうのを聞いて、僕も猫の写真を撮ってみようかと思った。

僕が湖の周りを一周して、またその場所に戻ってくると、すでに彼の姿はそこには無かったが、さっきとは別の猫がベンチに座っていた。

僕は、猫が座っているベンチにゆっくりと座り、さっき自販機で買ったビールを開けた。

その猫は臆病そうな黒猫だったが、僕がベンチに座っても逃げず、グルグルと喉の辺りを鳴らしていた。

僕は、ベンチに深く腰掛けて、猫のあごの辺りを撫でながら、ゆっくりと片手でビールを飲んでいた。

ちょうど夕暮れ時で、湖の周りに群生している草や木々が風で擦れ合う音と、藻や土の香りを含んだ少し冷たい空気の匂いが心地よかった。

そのときほど、夕日が紫色の雲の間に消えていくのが寂しいと思ったことはない。

夕日が消えて辺りが真っ暗になると、いつの間にかベンチから黒猫の姿は消えていた。

🐈 🐈 🐈

だいぶ前の記憶だが、こうして思い出してみると、あれは自分のこれまでの人生の中で、ベストとも言っていいくらいリラックス出来た瞬間だったのかもしれない。

恐らく、神社で寝そべっている地域猫や、あの湖にいた猫たちは、ああいった瞬間を毎日のように過ごしているのかもしれない。

いつもは人間にエサをもらい、気が向いた時だけ遊びで小動物や昆虫を狩ったりする。

完全な安全と、少しの冒険が入り混じった日常。

セミリタイヤをしたら、猫が過ごしているようなそんな時間を、毎日味わうことが出来るのかもしれない。

ただ、それには完全な安全を確保しておく必要がある。

完全な安全とは、要するに食うに困らないお金のことだ。

だから、僕が猫と同じ時間を過ごすためには、シャカリキになってお金を稼いだり、資産運用をしたりして、十分なお金を確保する必要がある。

そう考えると、もしも僕がセミリタイヤを目指すとしたら、猫になるために必死で働いてお金を貯めるということになる。

猫になるために、猫とは真逆のことをする。

そんな自分を想像しただけで、吹き出しそうになったが、やはり資本主義は何事も金次第だ。

猫になるのにさえ金がいる。

そんなことを考えながら、パソコンの電源を切り、スマホを充電器に射し込んでから、また明日スーツに着替えるために眠りにつく。

あの時の黒猫がこの様子を見たら、きっと呆れてしまって、大きなアクビをかますに違いない。

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