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お金がないので貧乏だと感じるか感じないかは時代や環境の変化によるもの
ー危ないー
その瞬間、僕は車のハンドルを切り対向車線にはみ出してしまったのだが、正面から車が直進してくるのが見えて、慌てて再度ハンドルを切って元の車線へと戻った。
両脇が雑木林になっている道路を走行していたら、突然ウサギのような小動物が出てきたので慌ててハンドルを切ったら、正面から来た車と衝突しそうになったのだ。
一瞬、ハンドル操作が遅れていたら、死んでいたかもしれない。
「死んだら投資もクソもないな」
背中に冷汗をかきながら、思わずそうつぶやいてしまった。
家に戻ると、冷蔵庫からビールを取り出し、本棚にあった池波正太郎のエッセイを久しぶりに開いてみた。
「食卓の情景」というエッセイなのだが、その中に作者の母方の祖父の話が出てくる。
その人物は飾り物を作る職人だったのだが、お金に余裕が出来ると芝居を見たり、相撲見物をしたり、それから好物の鰻を食べたりしていた、ということが書かれていた。
なんとなく、江戸時代の職人を思わせるような人物だが、池波正太郎は1923年生まれなので、その母方の父ということは、幕末からそれほど経っていない時期に生まれた人だと推測される。
そのため、実際に江戸時代の職人の気質みたいなものを引き継いでいた人物だったのではないかと思う。
江戸時代の職人と話したことがあるわけではないので、本当のところは分からないが、江戸時代の職人というのは基本的に貯金などはせず、もらった手間賃(給与)は全額使い果たすという生活をしていたようだ。
日本人が貯金好きなのは長寿大国だから?
日本人の貯金好きは世界的に有名で、多くの人々が貯金に励んでいて、「貯金」がないと不安な気持ちになってしまう人も多い。
かくいう自分もそうで、自分の銀行口座の預金残高が少なかったころは、何となく不安になってしまったことを記憶している。※今でも別にお金持ちではないが笑。
しかし、数百年前に江戸に住んでいた人々の場合、基本的に商売での金銭のやり取りは大晦日のツケ払いだったこともあってか、日常的に「貯金」をするという習慣があまりなかったみたいだ。
そのため、大晦日に売掛金を取り損ねると、本当に破産してしまうというケースも結構あったらしい。
「江戸っ子は宵越しの金を持たない」という言葉が有名だが、今のように会社員(給与所得者)も多くはなく、圧倒的に個人事業主が多かった江戸の社会では、人々の手元にあるお金が常に少なかったというのも頷ける話だ。
なぜなら、個人事業主で商売をやっている場合、必ず元手となる事業資金を回していかないといけないからで、その場合、手元に常にお金を置いておくのは難しいからだ。
そのため、江戸時代の人々は、「貯金」が無いという状態は当たり前で、そのことによって「自分が貧乏だ」と感じるケースは今よりも少なかったのではないだろうか。
どちらかといえば、手元にあるお金よりもキャッシュフロー、つまりは日々暮らしが快適に回るくらいのお金が、定期的に自分の懐に入ってくるのかを重視していたような感がある。
その理由は、今のように人の寿命が長くなかったからではないかと思う。
江戸時代の平均寿命を正確な数値で算出することは不可能だが、恐らく30代後半から40代中盤くらいまでだったのではないかと思う。
そのため、老後の心配をするよりも「今を生きる」ことに意識を集中させている人の割合がかなり多かったのではないだろうか。
江戸時代にはワクチンも存在していないし、外科手術も一般的ではなく、また栄養豊富な食べ物も今ほど流通はしていない。そのため、風邪を引いてしまっただけで本当に死んでしまうということも珍しくはなかった。
そんな時代背景があったので、将来の心配をして貯金をするよりも、使えるときに使っておく、というお金の使い方をする人が多かったように思うのだ。
もちろん、流通している貨幣の量や、現在の資本主義社会との構造的な違いはあるだろうが、「寿命が今より短命だった」という点も江戸っ子が宵越しのお金を持たなかった大きな理由の一つなのではないだろうか。
日本がさらに長寿化するならお金の問題はさらに深刻になる
最近、「人生100年時代」という、江戸時代の人からしたら「2回生まれてるわ!」と突っ込みを入れたくなるようなスローガンを頻繁に見かける。
自分自身、100年も生きられるとは微塵も思っていないし、そこまで生きて楽しいのか?とも思う。
しかし、日本の平均寿命が上がり続けており、医療技術や人々の健康に対する意識が高まっていることを考えると、そのうち本当に多くの人が100歳まで生きる時代がやってくるのかもしれない。
そうなってくると、ますます「長生きするため」のお金が必要となってくるので、人々は「貯金が少ない」ということに不安を抱くようになっていくだろう。
というのも、現状の労働制度だと給与所得者が多く賃金を稼げるチャンスがあるのは60代前半までで、そこからは一気に収入が減ってしまうケースがほとんどだからだ。
なので、出来るだけ早いうちに人生100年生きるためのお金を貯めておかなければならないのだが、労働者たちが貯金に回せる額というのは意外なほど少ない。
先日から、貯金2000万円ないと老後生活が成り立たなくなる、と金融庁が発表したことが世間に波紋を広げ続けているが、こういった問題が起こるのは人々が「長生き」するようになってしまったからだと言える。
そう考えると、我々が金銭的に不安を抱える最大の原因は、昔に比べて伸びすぎた寿命だと言えるのかもしれない。
将来の不安をし続けることは果たして正解なのか
人間というのは、種の本能として、「出来るだけ長く生きて子孫を繁栄させたい」という欲求を持っている。
そのため、将来きちんと生きていけるだけの資金が手元になく、年金だけでは生活が成り立たなくなるという情報を聞くと、ひどく不安を覚えてしまう。
現代は、誰もがそんな不安を抱いており、そのため様々な媒体で「お金」に関する情報が発信されていて、人々は何とか「お金の不安」を解消しようと、そういった情報を手当たり次第読み漁っている。
ただ、多くの人が忘れているかもしれないが、今生きているこの瞬間も、過去生きたいつかの時点からすると「お金に関して不安に思っていた将来」だという事実がある。
なので、今の時点でも「お金に関して不安に思っている状態」が解消されていないのであれば、それは金銭的な問題というよりも、心理的な問題である可能性もある。
お金というのは不思議なもので、手元にいくらあっても「足りない」と感じる性質を持っている。
そのため、「お金を貯める」ことや「資産を増やす」ことだけにフォーカスして生きているといつまで経っても飢餓感から抜け出すことが出来なくなる。
そうなってしまうと、本当に「お金のためだけに生きる人生」になってしまう。
なので、個人的には、定期的に自分が好きなことにお金を使うことは結構重要だと思っている。
もちろん、「収入>支出」となるようにコントロールしないといけないのだが、たまには「お金に関して不安に思っている状態」から自分を解放してあげないと、飢餓感に満ちた人生を歩むことになってしまう。
これは別に、極端な贅沢をするという意味ではない。
半年に一回旅行に行ったり、自分が好きなものを月1で食べたりするくらいでいいと思う。
「お金で今を幸せにする」という行為を行わないと、一番重要な「今」が充足されない人生になってしまい、死ぬ寸前で飢餓感に満ちた人生を悔いることになってしまう可能性がある。
寿命が長くなればなるにつれて、自分自身も含めて人々はますます「お金」のことに頭を悩ますことになると思うが、「今」にフォーカスしてバランスよくお金を使うことも結構重要なことなのではないだろうか。
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