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【騙されるな】なぜ人々はお金を汚いものだと思い残業代を悪だと思うのかについて

なぜ人々はお金を汚いものだと思い残業代を悪だと思うのかについて

鳥や動物たちはあまり深く考えることはなく、「恐怖」や「反射」によって行動することが多く、それが故に「動物たちは気楽でいいな...」と人間から羨ましがられることもある。

しかし、実際のところ多くの人が動物と同じように「恐怖」や「反射」によって行動していることが多く、特にお金に関することに関してはそうであるケースが多い。

不思議なことに、ここに日本は恐ろしいほど貯金をため込む守銭奴たちのメッカなのだが、「お金は汚いものである」という謎の価値観が浸透していて、お金を稼ぎまくっている人がいると、「なんだ、あいつは汚いことをして」と罵られる。

その場合、「汚いこと」の定義もよく吟味せず、自分自身の感情、もう少し詳しく言うならば生まれながらに植え付けられた価値観によって、お金を稼ぐ人を非難していることがほとんどだ。

その一方で、不思議なことに人々の多くは「お金が欲しい」という相反する願いを持っている。

一体なぜこのような矛盾が起きるかというと、義務教育段階で我々が「洗脳」を受けているからだ。

労働者たちを量産するための教育について

これは知っている人は知っていることだが、一応説明しておくと、今の日本の義務教育というのは産業革命の頃に工場労働者を大量に生み出すために設計されたものだ。

というのも、そのころは今のように工場の自動化がなされていなかったため、大量の労働者によって大量の製品を作り出す必要があり、それが国力に直結する時代だったからだ。

そのため、監督者の言うことに反発しない「聞き分けがよくて、使いやすい」労働者たちを大量に作りだす必要があったのだ。

なので、基本的に日本の義務教育では自主性を伸ばすような教育は行われず、「よく言うことを聞く協調性のある人間」を量産するような教育が行われているのだ。

規律を乱さず、協調性を大切にし、人の言うことをきちんと聞く、そんな人間を作り出すのが日本の教育だ。

ここでちょっと思い出して欲しいのだが、小学校の授業で「みんな、お金もちになろうね」という話を先生からされたことはあるだろうか?

恐らく、無い、という人がほとんどだと思うのだが、これは「お金」が価値のベースとなって成立している資本主義社会という我々が生きる環境を考えると、非常に不思議なことだ。

本当であれば、「みんな、資本家になってお金もちになろうね」という話を先生たちは子供たちに向けてするべきではないだろうか?

なぜなら、この資本主義社会では「お金」がないとゴミクズ扱いされ、どんなに高潔な精神を持っていてもハンバーガーすら買えないからだ。

だけども、こういった話をする先生はあまりいないだろう。

それはなぜか?

それは、そんな教育をしたらみんなが資本家を目指す可能性があり、その結果労働者がいなくなってしまう可能性があるからだ。

なので、「協調性を大切に」とか「みんなで協力して」といった感じのワードをシャワーのように浴びせ、平均的な労働者になれる人間を量産しているのだ。

そして、その価値観は大人になっても我々から完全に抜けることはなく、「過分なお金ではなく、身の丈にあったお給料を貰おう」といった感じで皆労働者になっていくのだ。

これは、この記事を書いている自分にももちろん当てはまることだ。

なぜ日本人はサービス残業をするのか?

外国人は日本人の多くがサービス残業をすると聞くと、「一体なぜ??」と理解に苦しむらしいが、その答えは前述したような教育を長期間受けているため、「協調性を乱してはいけない」という心理が働くからだ。

なので、周りがサービス残業をしていると「僕もやらなきゃ」といった感じでサービス残業をするのだが、これは労働契約の構造上どう考えても歪な行為だ。

というのも、我々労働者たちは、「時間」という貴重な資産と「お金」を交換しているからだ。

そうでない歩合制の契約の場合は別にして、日本企業の場合はほとんどが就業時間が定められており、「時間」と「お金」を交換する契約になっている。

そのため、本来であれば明らかに労働者側に不利益な行為なのだが、サービス残業という歪な行為がさも当然かのように扱われているのだ。そして、そのことに表立って強く不満を漏らす人も少ない。

むしろ、残業代を請求することは悪とされているケースも多い。

一体それはなぜなのか?

それは、我々が「洗脳」された状態から抜けきっていないからだ。

同じように、最近ブログはオワコンだと言われることが多く、「その通りだ」という方も多いが、「ブログがオワコン」と発信している人たちはブログを辞めているだろうか?

本当にオワコンなのであれば、今すぐに辞めているはずなのではないだろうか?

テキストメディアがオワコンなのであれば、テレビやDVDがあったのに、雑誌というテキストメディアが成立していたのはなぜだろうか ?

なぜ、雑誌というテキストメディアでの広告事業が長期間成立していたのだろうか?

そんな感じで、ハワード・マークスが言うところの二次的思考を働かせて物事を考えることは、ハードなこの世界を生きていくには結構有効だということを、このブログの読者にはお伝えをしておく。

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