お金のために死ねますか?という問題について
お金の問題というのは、誰しもが一度は直面する問題で、お金の問題と向かい合わずに死ねる人はかなりの少数派ではないだろうか。
というのも、我々が生きているこの資本主義社会はお金がなければチロルチョコすら買うことが出来ず、飢え死にをしてしまう世界だからだ。
お金という媒体は、物やサービスと交換出来るため、それが手元にないということは、生活に必要な物や食料など、生きていくために必要なものを手に入れることが出来ないということを意味する。
そのため、手元にお金がないという状態は「死」を意味すると言っても過言ではないだろう。
もちろん、自給自足で食料を確保でき、住む場所もあり、電気も水もガスも必要ないという人であればお金がなくても生きていくことは出来るだろうが、そんな人はこの日本では圧倒的少数派だろう。
そのため、ここ日本においては「お金がないと生きていけない」という定義が成り立つのだ。
人間という動物は、自己の生命の危機に大しては脳がダイレクトに反応するように出来ているので、多くの人々が生きていくための生命線である「お金」が無い状態に恐怖するのだ。
そして、お金を稼ぐために限られたリソースである「時間」を差し出して、自分自身の人生を削り取られていく運命を受け入れるのだ。
それはある意味、自分自身を緩やかに「死」へと導く行為だと言ってもいいのかもしれない。
お金がすべてだと錯覚する理由
前述したように、お金というのは物やサービスと交換出来る媒体ではあるのだが、はっきり言って機能的にはそれ以上でもそれ以下でもない。
しかし、そこに「欲望」や「恐怖」などの感情が作用すると、人をコントロールしたり、人に恐怖心を抱かせたりする、という別の機能も発揮し始める。
そのため、多くの人々がお金を神格化して扱い、「お金がすべて」と言わんばかりに自分の最も貴重なリソースである「時間」を差し出してお金を稼ごうとするのだ。
お金は工夫をしたりすれば、短い時間で多くを稼ぐことが可能だが、「時間」はどうあがいても自分ではコントロールすることは出来ない。
そして、お金は世の中に無限に溢れているが、「時間」はどんな人も限られていて再チャージすることは不可能だ。
そのため、どう考えても貴重なのは「時間」なのだが、自分も含めて多くの人々が必死になってお金を稼ぐために「時間」を使いまくっている。
その理由は、前述したようにお金の機能が人間の感情によって拡大解釈されているからだ。
お金より〇〇を大切にする人が増えている
前述したように、お金がこの世で最も貴重な資産だと思っている人が非常に多いのだが、実際には「時間」が最も重要な資産なのだが、最近はそのことに気が付いた人が徐々に増えている。
FIREという経済的独立を意味するワードが流行し、仕事に縛られずに自分自身の時間を大切にする生き方をする人が増えていることからもわかるように、以前は神格化されていたお金の価値が人々の中で揺らぎ始めているのだ。
その理由は、恐らくインターネット等の技術革新により、お金をそこまで使わなくても生きていけるような環境が整い、昔のようにテレビ・冷蔵庫・車などの物に執着する人が減ってきたからではないだろうか。
そして、朝から晩まで働きまくるというライフスタイルに人々が疲れ切ってしまい、そういった働き方が間違っているということがインターネットを通じて多くの人々にアナウンスされたことも影響しているだろう。
特に日本人は協調性を重んじる民族なので、ネット経由でそういった意見に賛同している人々が多いのを見ると、「実は私も」と自分自身の本音に気づくケースも多いのではないだろうか。
そして、それは確かに正解で、「時間」という資産を大切にするということは、人生を大切に生きるこということなので、お金をまだ神格化している人は、少し自分の価値観を変えてみた方がいいかもしれないね。
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