配当金生活はサラリーマンにとって憧れの生活であることは、下記の記事で書いているように、ほとんどのケースでそうだろう。
配当金生活を目指す場合のモチベーションで多いのが、「もう今の生活が嫌だから配当金生活を目指す」といった感じのものだ。
というのも、配当金は投資家自身は何もしなくても手に入れることが可能な不労所得で、労働所得とは違ってストレスフリーで手に入れることが可能な不労所得だからだ。
そのため、日々日常の労働により消耗を続けているサラリーマンたちは、「配当金生活が実現したら楽になる」と考えて、配当金生活をするために配当金を生み出す株式をひたすら買うという行動に出るのだ。
それ自体は素晴らしいことなのだが、「しんどいけど、今の生活が嫌だから」というモチベーションで節約をして株式を買いまくるのは、それはそれで苦行だと言ってもいい。
好きな物を食べず、着るものもボロボロで、毎日飢餓感に耐えながら配当金を生み出す株式を買うという行動は資産構築という面では確かに正しい行動だ。
しかし、「人生を楽しむ」という観点で考えると、そういった生活によってあまりにもストレスが貯まるのであれば、それは最適な行動とは言えない可能性があるだろう。
多くの人々が勘違いしているのだが、お金というのは自分が望むことを実現するための単なる手段でしかない。
それなのに、自分自身の「時間」という最も大切な資産を毀損してまでも、お金だけを追及するという行動はどう考えても馬鹿げている。
なので、出来るかぎりそういった状況に陥ることは避ける必要があるだろう。
ところで、この記事を今読んでいる皆さんは、「時間」というものに対してどのような価値観を持っているだろうか。
「時間」など早く過ぎ去ってしまえばいい、そう考えながら毎日を耐えるようにして過ごしているのであれば、それほど勿体ないことはない。
というのも、基本的に人というのは「時間」さえあれば何でも実現出来る可能性があり、多くの人々が自分が望むことを実現出来ないのは「時間」がないからだ。
「時間」というものは下記で書いたように人にとって有限な資産で、有限であるがゆえに大切にしなければならず、実はお金よりも断然大切にすべき大切なものなのだ。
お金であれば投資をある程度覚えたり、副業をしたりすれば何とでもなる場合が多いのだが、時間だけは誰がどう努力しても巻き戻すことは不可能だ。
なので、配当金生活を目指す場合も、出来る限りは「楽しい」時間を増やす必要があると言えるだろう。
楽しみながら配当金生活を目指すためには、例えば節約を楽しんだりとか、株式でリターンを求めることをゲーム化するなど、自分なりの工夫が必要だ。
自分だけのポートフォリオを組んでみて、指数とリターンを競ってみるなどもそのうちに入るだろう。
ただ株式を買い続け、毎日株価下落の不安を抱えながら配当金生活を目指す、というケースでは「楽しさ」という人生において最も大切な概念が失われてしまう。
なので、もしも配当金生活を目指す場合でも、「楽しさ」に基軸を置いて自分なりの工夫をすることは極めて重要だと言える。
前述したように株式を買うために種銭を貯めることを楽しんだり、目標の資産額を決めてそこに到達するまでのプロセスをゲームみたいに楽しんだり。
どうせ配当金生活を目指すのであれば、歯を食いしばり苦痛に耐えながらそれを目指すよりも、出来るかぎり「楽しさ」を生み出すような取り組みをしながら目指したいところだ。
我々が生きているこの時間はかけがえのない貴重なもので、日々過ぎ去っていく細切れの時間の集合体が人生なので、出来る限りはそういった努力を惜しまず、楽しく配当金生活を目指していくべきではないだろうか?
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