【小説】配当金で過ごす投資家の夏・絶対に見てはいけないビデオテープ-VOL6

絶対に見てはいけないビデオテープ

その映像は、ビデオデッキにセットされた古いビデオテープによって再生されている映像のように、カタカタと音を立てて進んでいく。

スマートフォーンやノートパソコンで再生されるようなスムーズな動画ではなく、その映像には、ビデオデッキで再生されている古いビデオテープ特有のぎこちなさがあって、チャップリンが角ばった動きをしている白黒映画ほどではないにせよ、場面ごとに区切られているような感覚を覚える。

本当は、その前後の映像をビデオテープを早送りしたり、巻き戻したりして再生したいのだが、場面と場面を無理やりくっつけたみたいなその映像を、思い通りに操作することは出来ない。

・シーン1

いつもは、先に進むのが困難なほど密集して群生している草たちが、まるで映画・十戒で海が割れるシーンのようにパックリと割れて、その先の海への道が開ける。その向こうでは、麦わら帽子を被った女の子が、群青色に染まった海を見つめている。

ーそっちへいっちゃだめだー

僕は、映像を見つめながら、必死でそう叫ぶ。

映像を映し出している古いビデオテープが、カタっという音を立て、次のシーンへと進んでいく。

・シーン2

僕は、草むらが割れて出来た道を必死で走り、彼女の方に向かっていくが、なぜか近づくことが出来ない。必死で走っているのに、彼女との距離が全く縮まらず、僕の瞳の中に映る彼女は、どんどん波打ち際の方へと近づいていく。

ー彼女を止めないとー

映像を見ている僕の心拍数が上がってきて、喉の奥がカラカラになり、空気を上手く肺の中に取り込めない。

蒸し暑い夏の夜に熱でうなされているような息苦しさに、窒息しそうな感覚を覚える。

・シーン3

波打ち際までたどり着いた彼女が、吸い込まれるようにして大きな波に飲み込まれていく。群青色の海の一部である青黒いその巨大な波は、人間がまだ見たことのない、不気味な生命体のように見える。

ー待つんだ-

このシーンで映像は終わり、カタカタとビデオテープが巻き戻され、最初の映像からまた再生が始まる。

僕は、映画館でポップコーンを食べながらこの映像を見ているのではなく、暗くて周囲が全く見えない、どこか分からない場所で、何か頑丈な器具で体を拘束されながら、この映像を見続けている。

ここがどこなのか、あの女の子は誰なのか、あの群青色の波は一体何なのか?

何もわからない。

分からないのだが、ビデオデッキにセットされた古いビデオテープの回転が止まることはなく、また最初のシーンから映像がカタカタと再生される。

僕は、ずっと眠れない。

着信

突然鳴った僕のスマートフォンの着信音が、社の軒先から潜り込んだ真っ黒な空間に響き渡る。

不思議なことに、画面には何も表示がされておらず、青白い光が発せられているだけだ。

「もしもし」

突然、スマートフォンの向こうから声が聞こえた。無線機のように雑音が混じっていて、よく聞き取れないが、確かに画面の向こうから誰かが僕に話しかけている。

「誰ですか?」

「そんなことは、どうでも、いいんだ。君は今、囲まれている。僕の言う通りに動いて、そこを出るんだ」

一体何を言っているんだ、こいつは?

声の主はどうやら男のようだが、会社の上司でもないし、友人でもない、何となく片言の外国人ような喋り方をしている。

「いいか、絶対に僕の言う通りに体を動かしてそこを出るんだ。もう一度言うが、君はすでに囲まれている」

囲まれている?

いったい何に?

そう思って、目の前の暗闇に視線を戻した時だった。

ーぴちゃー

水滴が目の前に落ちた。

ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ、ぴちゃ

水滴は一粒ではなく、まるで降り始めた雨のように、連続して暗い社の床下の地面に落ちては弾けている。

憂鬱な雨の日に街を支配する、あの水の生臭い匂いが、真っ暗なこの空間に満ちている。

スマートフォンの画面が照らしている地面を見て、僕の脊椎が「ゾッ」と音を立て、仰け反るようにして反射する。

小さなオタマジャクシのような無数の影が、巨大な群れとなって僕のすぐそばまで接近している。

「なんだ、これは...」

脊椎の内部の液体が凍り付き、僕の体を恐怖が支配した。

「これ」は、今まで僕が見たことのない、この世界に存在している他のどの生物や物質とも違う異質なものだ。

そして、「これ」に絶対に触れてはいけないと、僕の脳の中心からサイレンのように激しい警告が発せられている。

「水の近くには近寄っちゃだめよ」

さっき聞いた彼女の言葉が、また耳の奥で再生される。

「大丈夫だ、落ち着いて僕の言う通りにするんだ。まずは、右足を後ろに動かして」

「...」

「きちんと言う通りにするんだ。君はまだ、そんなところで、死ぬわけにはいかないだろう?」

ーこんなところで、死ぬー

滅多に人が来ないであろう、神社の社の下に広がる、真っ暗な空間で息絶える。誰も僕を見つけられない。時間の経過が肉を腐らせる。虫や微生物が僕の体を侵食する。骨にもなれない僕は腐乱した肉の塊になり果てる。

確かに、それはごめんだ。

「どうすればいい?」

「僕が言う通りに体を動かせばいい。さあ、足を右後ろに動かして、左腕でからだを後ろに押すようにして後退するんだ」

電話の主が言う通り、僕は左腕の肘で体を押すようにして、右後ろに後退した。

オタマジャクシのような無数の影は、後退する僕を追いかけてくるのだが、寸前のところで体には触れない。

「次は真後ろに、左足を動かし、右腕で体を押して進むんだ」

僕は電話の主の言う通りにひたすら体を動かし、この真っ暗なスペースから抜け出そうとする。

「もうすぐ、もうすぐだ」

確かに、感覚的に外の世界が近づいているような気がする。

あと少しだ。

「次はどうすればいい?」

「次は...」

突然、スマートフォンの電源が切れ、視界が真っ暗になった。

何故、このタイミングで電源が切れてしまうんだ。

絶望が、僕の体を包み込んだ。

指先にピリピリとした感覚を感じる。間違いなく、あのオタマジャクシのような影はぴったりと僕の後をつけてきている。

「...」

どうすればいい?

うかつに動いたら、こいつらに触れられてしまう可能性がある。そしてそれは、絶対に避けなければならないと、僕の脳が激しい警告を発している。

僕が体を硬直させ、思考を巡らせ始めたときだった。

ーぴちゃー

また、水の音が近づいてきた。

ぴちゃ、ぴちゃぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃぴちゃぴちゃ

「どうすればいいんだ...」

思わず、声が出てしまった。この状況は、とんでもなくまずい。

僕は、意を決して、真後ろに一気に後退してこの空間を脱出する決意をした。

「いくぞ」

僕が体を動かした瞬間、オタマジャクシのような影が、僕の右手の甲に触れたのが微かに見えた。

ーしまったー

オタマジャクシの影の大群が、その一匹の動きに反応し、群がるようにして僕を押し包みこもうとしているのがはっきりと分かる。

「こっちよ!!」

気が付くと、僕は無我夢中で声がした方向に体を後退させていた。

目の前までオタマジャクシの影の大群が接近し、執拗に僕を追いかけてくる。

ーもうダメかー

そう思った瞬間、誰かが僕の足首を掴み、思いっきり引っ張った。

彼女の棲み処

「大丈夫?」

気が付くと、風が吹いていて、彼女が僕を覗き込んでいる。

「なんとか」

どうやら、彼女が僕の足を引っ張って社の軒下から引っ張り出してくれたようだ。

僕は、しばらく放心状態で彼女を見つめていた。彼女は、少し笑っているように見える。赤い唇が、風の微弱な振動で柔らかく揺れている。

「一体なんだったんだ、さっきのは?」

「だから言ったでしょ、この神社では水に近づいちゃダメなのよ」

そんなことを言われても、こっちだって神社の社の下に潜り込んで、上から雨のように水滴が落ちてくるなんて分かる訳がない。

「ところで、白猫は見つかったの?」

僕は体を起こして体についた土を払いながら聞いた。ズボンが土まみれになっていていたので、早くクリーニングに出さないといけないな、と思った。

「見つからなかったわ。また今度、夜に探しにくるしかないわ」

「夜にこんなところに来たら危ないだろ、それに...」

僕は、さっきの異様な光景を思い出していた。あの不気味な無数のオタマジャクシの影を。

「ここは、普通の場所じゃない」

「そうね」

「お姉さんは、一体何者なんだ?」

彼女は、この神社が「普通の場所」ではないことを知っていた。確かに彼女が言う通り、この神社では「水」に近寄ってはいけない。

「何者、ね...」

溜息をつきながら、彼女がそう言う。

「君は何者なの?」

「僕は、仕事でたまたまこっちに来たサラリーマンさ。白猫に案内されて、ここに迷い込んだだけだ」

「あの子に案内されたのは、たまたまではないわよ」

「?」

「まあいいわ、そんなことより、君の右手の甲、ちょっとそれはまずいわね」

右手の甲?

一瞬、社の床下で脊椎を仰け反らせた、あの「ゾッ」とするような感覚が僕の体を包み込む。そうだ、僕の右手の甲に、一瞬あのオタマジャクシのような影が触れたんだった。

見てみると、右手の甲の中心に黒いアメーバのような物体が付着しているように見える。左手でそれを払おうとするが取れない。それは付着しているのではなく、僕の皮膚の数ミリ下で蠢いているのだ。

「なんだ、これは」

「落ち着いて、大丈夫だから」

皮膚の下で動く、真っ黒なアメーバのような物体を見て、一瞬、僕の視界が歪む。

体に力が入らない。高熱を発した時のような気だるさが体を包み込んでいる。

「私の家で治療してあげるわ」

「君の家で?」

いつもの僕なら、そんな風に言われたらその後の展開を期待して心が落ち着かなくなるのだが、血管の中を鉛を溶かしたような物質が流れているように体が重く、気だるさのせいでそんな気分にはならない。

「さあ、いきましょう」

そういうと、彼女は僕の手を取り、歩き出す。僕は彼女に手を引かれてヨロヨロと必死でそれに続いく。彼女の手は心地よい冷たさがあり、僕の体から発せられている気だるい熱を癒す。

神社の赤い鳥居をくぐり、階段を下りて、迷路のような路地を歩いていく。右手から鈍い痛みが発せられていて、上手く歩けずこけそうになるのだが、繋いだ彼女の手の部分を目印にして、なんとか歩行を続ける。

何となく、懐かしいような感覚だ。こんなことが、昔あったような気がする。僕は、その時も、こんな風に誰かに手を引かれて歩いていたはずだ。

一体、いつ?誰に?

一体どこを、どのようにして歩いているのか、全く分からない。彼女は、迷路のような路地をどんどん歩いていき、僕は、ひんやりとした彼女の手を頼りに、必死で歩行を続ける。

「ついたわよ」

ようやく辿り着いた彼女の棲み家は、どこにでもありそうな、外壁が古びた緑色の木造アパートだった。

アパートの周囲を囲むコンクリートブロックから発せられた湿気が、モルタルを塗り込んだ外壁に長い年月をかけて染み込み、内側の木材が湿り気を帯びて独特の匂いを発している。

右手の甲に目をやると、皮膚の下で蠢いていた黒いアメーバのような物体が、さらに大きくなって手の内側にまで広がっている。

「一体何なんだ、これは」

恐怖が、僕の体を包み込む。

体が熱くて重く、視界がかすんでいる。

「大丈夫よ、すぐに治るわ」

一体、この黒い物体は何なんだ?あの神社で聞いた不気味な水の音はなんだったんだ?君はいったい誰なんだ?

「大丈夫よ」

混乱している僕に、彼女は優しくそう言った。

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