【小説】配当金で過ごす投資家の夏・マクロ経済における潤滑油について-VOL11

マクロ経済における潤滑油について

新幹線の車窓の向こうに広がる海が、夏の太陽の光と空の青さを吸収し、コバルトブルーとエメラルドグリーンを混ぜ合わせたような色となり、キラキラと輝いている。

恐らく、この海の底には、サンゴや石や岩が砕け散ってパウダー状になった砂が敷き詰められている。

だから、空の青さを海の底がダイレクトに吸収して白みがかった色彩の光を作り出し、その光が海水の中を屈折しながら乱反射してあんな色になるのだろう。

そんなことを考えながら、新幹線の駅のホームにある売店で買ってきた缶ビールを開け、口に含む。

新幹線の中には、スーツを着て土曜日なのに出張に行く様子のサラリーマンや、旅行に行く家族連れ、それから登山用のバックを抱えた老人のグループなんかが乗っていて、どことなくリラックスした雰囲気が流れている。

「2日間、有給をいただきたいのですが」

上司にそう言うと、先週も出張のついでに休みを取っていたので怪訝な顔をされたが、

「実家の方で少し用事があるので、申し訳ありません」

と付け加えると、

「わかった、ただし、月曜日は電話に出られるようにしておいてくれよ」

と、条件付きで許可された。

これで、月曜日は完全にオフで動けるし、火曜日も新幹線に午後乗るまでは自由だ。

本来であれば、有給休暇は労働者の権利なので取得するのに上司の許可など必要ない。

しかし、人間の感情が経済を回す潤滑油の役割を果たしていることを考慮するならば、株式会社というマクロ経済の基礎をなす現場で歯車として働く上司の感情には、やはり配慮が必要だろう。

人の感情は、ふとしたことがキッカケとなって急速に酸化してしまい、それまではスムーズに回転していた歯車が止まってしまうことも多い。

だから、潤滑油が酸化して錆びてしまわないように配慮する必要がある。

マクロ経済を回転させる歯車がきしむ音を耳の奥に聞きながら、僕はビールを口に含み、先週の美咲からの電話について思い出す。

美咲が僕に電話をした理由について

「何にしますか?」

「皮と心臓を2本づつ下さい」

その日、オフィスを出た僕は家に帰って何か調理をして食べるのも面倒なので、行きつけの焼き鳥屋に入り、ビールを飲んでいた。

初めてこの店に入ったとき、焼き場の上に設置された照明全体に黒くてネットリとした油が付着していて、煙と油を長期間浴びた金属の変色の仕方に驚いたのだが、今はもうカウンターでぼんやりとビールを飲みながらそれを見ても、それが気にならないようになっていた。

「だから、余計なことは言わなくてもいい。今週末、そこに行くんだ」

網の上で焼かれてブクブクと油を吐き出す鳥の皮を見ながら、さっきオフィスで僕のスマホに電話を掛けてきた主が一方的に僕に出した指示を思い出す。

「一体、誰なんだ?」

電話の主は、間違いなく先週行ったあの得体の知れない神社で僕に電話を掛けてきて、社の床下の空間から脱出するための指示を僕に出してくれた人物だ。

電話の声の主は、ノートPCの画面に突然表示されたグーグルマップに示された地点に、今週末すぐに行け、と僕に指示をした。

なぜ、突然、僕のノートPCがハッキングされたように自動操作され、あの地点を表示したのだろうか?

考えている内にかなり混乱していたのか、店主が焼けた鳥皮の串が乗った皿を僕に差し出しているのにも気づかなかった。

「どうぞ」

皮をかじってみると、すでに油が抜けて表面の蛋白質が凝固し、カリカリとした心地良い歯ごたえがあった。

材料となった鳥は、悲鳴を上げながら首を折られ、羽をむしられ、バラバラに解体されるという、目を背けたくなるような悲劇において主演男優を務めた主人公なのだが、命を絶たれる直前、最後に思い出したのはどのような景色だったのだろうか?

串に残された最後の一切れを見つめながら、ふと、そんな疑問が頭の中をよぎった時だった。

カウンターの上に置いていたスマホの着信音が鳴った。

「もしもし?」

美咲からだった。

「どうしたの、急に」

電話の向こうでは、ガヤガヤとした人が歩く気配や声がするので、恐らく、美咲は外から電話を掛けてきている。

「...」

「仕事終わり?」

「うん」

どことなく、不安定な響きのする声だった。何かあったのだろうか、それとも、元々不安定なタイプなのだろうか?

僕は、一旦席を立って店の外に出た。

「ごめんね、急に電話して。仕事でちょっとしんどいことがあったから、なんとなく掛けちゃったの」

「そうか、確か証券の営業やってるんだよね。上司に詰められたりしたの?」

営業で辛いことと言えば、ノルマが達成できずに上司から詰められることだと相場が決まっているので、僕は美咲にそう聞いた。だ

しかし、彼女は予測外の事を言った。

「...まあ、そんな感じかな。あのさ、君は夢って見たりする?」

「ああ、眠りが浅い方だから、よく夢は見るよ」

僕は、美咲が突然夢の話をし始めたことに違和感を覚えていた。

僕は、よく夢を見るのだが、重要な夢は、いつも目が覚める前に脳内からアンインストールされてしまう。

「そうなんだ、昨日ね、私夢を見たの。君と一緒に私が住んでいる地元の神社にね、お参りに行く夢」

「神社?」

「そう、赤い鳥居の小さな神社にね、君とお参りに行く夢を見たのよ」

「...」

「君はね、その神社で神様にお願いをしてたんだけど、その願い事が少し気になったの」

「どんなことを祈っていたんだ、君の夢の中で僕は?」

「...彼女を返してください、って祈ってた、小声で」

「そうなんだ」

「きみ、彼女はいるの?」

「いや、いないよ」

「付き合ってた子が、死んじゃったとかでもない?」

「なんでそんなことを聞くんだ?」

一体どうして、美咲は「神社」に僕と一緒に行く夢を見て、その夢の中で僕はそんなことを言っていたんだろうか。

「せっかく一緒に神社に来てるのに、別の女の子のことを神様に祈るなんて失礼な奴だな、と思ったのと、その時の君の表情が、こう、なんていうか空間がねじれているような感じで顔がボケててよく見えなかったの。だから、何となく気になって。物凄く苦しそうな声で祈ってたから」

「大丈夫だよ、僕は。よくそういう夢を見るの?」

「うん、ちょいちょい夢は見るかな...あ、もう電話切らないと。また、会える?」

「ああ、会えるよ」

「じゃあ、今度は私が東京に行くから、その時に会わない?」

「いいよ」

「じゃあ、また連絡するね」

「うん」

そう言って、電話を切る直前、美咲がこう言った。

「そう言えばさ、前はお酒飲んでたからあんなことしたけど、私、かなり久しぶりだったんだ。だけど、次はああいうことしないよ、ご飯食べるだけ」

「わかった、そうしよう」

そうならないことを知っているので、僕はそう言って電話を切った。

結合するシナプスと美咲が見た夢

僕は店に戻ると、ぬるくなってしまったビールをコップに注ぎ、さっき美咲が語った夢の話について考えてみた。

まず、彼女と僕はどこの神社にお参りに行っていたのだろうか?

「私の地元の神社」と、彼女は言った。僕が愛理と白猫を探したあの神社は、彼女の地元にある神社だ。

もう少し、彼女の夢の話を詳しく聞いておくべきだったと、僕は少し後悔した。

コップのビールを飲み干し、次は、僕が「彼女を返してください」とお祈りをしていた、ということについて考えてみる。

「彼女」、とは一体誰のことを指すのだろうか。そして、「返してください」ということは、誰かに彼女を奪われたということを意味しているのだろうか。

僕の脳の奥で、微かに音が鳴っている。

その金属が擦り合うような音は、共鳴するように重なり合い、そして徐々に大きくなっていき、脳内のシナプスが物凄い速さで結合していくのを感じる。

一瞬、視界が真っ暗になる。

体中の細胞が、脳内で結合を続けるシナプスに共鳴している。

結合を繰り返すシナプスが、顔のない、不気味なクローンのような物体となって、僕の脳内で探し物を見つけようと彷徨い始める。

次の瞬間、眩しい光が点滅し、サブリミナルのように細切れの映像が脳内に設置されたスクリーンに高速で映し出される。

ーこれは、何だ?-

脳内に映し出されているその映像をきちんと確認しようとしたが、シナプスたちの結合が解除され、映像は消えてしまった。

「大丈夫ですか?」

店主の声が聞こえた。

「ええ...」

放心したような声で僕が言うと、

「ビール、こぼれてますよ」

気が付かない間に、僕は手元に持っていたコップを倒していて、カウンターの上にビールがこぼれていた。

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