【小説】配当金で過ごす投資家の夏・夏休みのダークマター-VOL9

「ほら、いくわよ」

「ちょっと待って、やっぱり駄目だよ」

チョロチョロと水が流れるその水路は、人があまり住んでいない団地の裏側に流れているのだが、最近、僕たちが通う小学校では、その水路の奥にある水が流れ出している穴の中にはお化けが住んでいるのではないか、という噂が流れていた。

「あの穴の中へ入ろうとしたら、うめき声みたいな声が聞こえてきたんだ」

幼馴染の洋平が、友達からそんな話を聞いたと言う。

「もしかしたら、4組の雄太君は、あの水路の中に入って行方不明になったんじゃないかって言われてるみたいだぜ」

同じ学年の雄太君という子が、2週間前に突然行方不明となって大事件となっていたのだが、子供たちの噂では、雄太君が以前、その水路の穴にいるというお化けの話をしきりにしていたので、もしかしたら、雄太君はその水路の穴の中に入ってお化けにさらわれたのではないか、という噂がしきりに流れていた。

「だったら、洋平君が行って確かめてきたら?」

洋平に対して少しキツい口調で言ったその女の子は、その年の4月に東京の方から親の仕事の関係で転校してきて、僕や洋平と家が近くて登校班が一緒だったので、いつの間にか僕たちと一緒に遊んだりするようになっていた。

女の子は、かなり勝気な男勝りの性格で、一緒にいる時は、僕や洋平の方がいつも引っ張りまわされていた。

「お、俺はいいよ、そんなの興味ないし」

洋平は、体は大きいのだが小心者だったので、顔をブルっと震わせてそう言った。

「そうだよ、何かあったら大変だからやめておこう」

僕も、わざわざお化けがいるような怖い場所になんか行きたくなかったので、そう言って彼女を止めた。

それから1月後、夏休みに入ったある日のこと、女の子が突然家のチャイムを鳴らしたので出て迎えると、「少しだけ近くの公園に遊びに行こう」、と言った。

「あの水路、ちょっとだけ行ってみない?」

しばらく歩いていると、突然、女の子がそう言った。

「水路って...あのお化けがいるっていう...」

僕は必死で女の子を止めたのだが、彼女は僕の手を取り、強引に水路がある団地の裏へと歩いていく。

「なんであんなところに行くんだよ、やめておこうよ」

僕が彼女の手を振りほどいてそういうと、

「あっそ、じゃあ一人で行くけど、それで私が行方不明になったらあなたのせいだからね」

女の子がこちらをじっと見つめながらそういった。茶色い瞳が、こっちを睨んでいた。シャーシャーシャーという、クマゼミの声が辺りに鳴り響いていた。

「...わかったよ」

僕は彼女のことが少し好きだったので、仕方がなくそう答えた。一人で行かせて、行方不明になんかになってしまったら大変だ。

「行きましょ」

彼女は、ニコッと笑うと、また僕の手を取って歩き出した。女の子の手は、ひんやとして冷たく、夏の太陽が放射する熱によって体温が上昇した体に心地よかった。

その水路は、僕たちの家からすぐ近くの公営団地のそばにあった。昔はその団地には人がたくさん住んでいたらしいが、その頃にはもうほとんど人は住んでおらず、車も広い駐車場に数台が駐まっているだけだった。

団地の裏は草木が茂っていて、奥には雑木林もあるので、昆虫を捕まえたりするために子供たちがたまに来たりしていたのだが、いつもは人気がなく、コンクリートの塊みたいな団地から発せられるジメジメとした湿気が漂っていた。

「本当に行くの?」

「行くわよ」

水路はちょうど僕たちの足首くらいまでの水深なので、彼女は靴を脱いで水路に設置されている短い梯子を下りていく。

「早く来て」

「わかったよ」

彼女に言われて、僕も仕方がなく靴を脱いで、梯子で水路に降りた。

水路に流れる水は冷たく、足の裏に丸い石の表面に生えた苔のヌルヌルとした感触を感じた。

「ねえ、なんでこんなところに来たがるの?」

「夢でね、あの水路の穴の中から、誰かが私に呼び掛けてきたの」

「夢で?」

「そう、早く来てくれって、でないと助からなくなる、てね」

そんな不気味な話を聞いたら、よけいに行きたくないんだけど。

僕がそう言う前に、彼女は水路を歩いてどんどん穴の方へと向かっていく。水が流れ出しているその穴はトンネルのような形になっていて、僕たちが腰をかがめてようやく入れるくらいの高さだった。

女の子は、水色のワンピースのポケットから小さなペンライト取り出した。準備は万端のようだ。

「いくわよ」

女の子が穴の中へ入っていくので、僕もそれに続いた。

穴の中に入ると、水が流れる音が響いていて、時おり天井から水滴が落ちる、ピチョン、ピチョン、という音が響いている。

穴に入ってから数メートルくらいまでは、何となく冒険をしているみたいな感じがしてワクワクしていたのだが、外の光が届かない場所まで来ると急に怖くなってきた。

「もう、戻ろうよ」

僕はそういうのだが、彼女はどんどん奥へと歩いていく。水色のワンピースが、暗闇の中で発光しているように見える。

「悪い人ではね、なかったの」

「何がだよ」

「夢の中で、この穴の中から私に呼び掛けてきた声のことよ。何となく友達のような感じがしたのよ」

「もうやめてくれよ、戻ろう、怖いよ」

僕の意見を無視して、彼女はさらに奥へと進んでいく。

すでに暗闇に目が慣れてきていたせいか、闇の中の様子を意外と目で捉えることが出来るようになっていた。

多分、このトンネルがどこかへ繋がっているはずだと思うのだが、結構歩いているはずなのに出口が全く見えない。

と、突然後ろの方で、水滴が落ちる、ピチョーン、ピチョーン、という音が大きくなり始めた。

「...?」

その音は徐々に激しさを増し、ついにはまるで雨が降っているかのように、ピチョピチョピチョピチョ、と連続して水を叩き、それが僕たちに向かって遠くの方から迫ってきている。

「ねえ、なんか変だよ、ねえ」

僕は、叫ぶようにそう言った。後ろを振り返ると、すでに入り口の光は全く見えず、雨が水面を叩くような激しい音が暗闇の中に鳴り響いている。

「大丈夫、行きましょう」

彼女は、僕の手を掴むと早足に穴の中を進んでいく。手が震えている。彼女もかなり恐怖を感じているようだ。後ろに戻ると危険だということは、彼女も察知しているようだ。

もしかしたら、どこかから水が漏れているのかもしれない。だとすると、穴の奥の方から激しい水流が流れてくる可能性もある。

やはり、危険かもしれないが、入り口まで戻った方がいいのかもしれない。

「ねえ、やっぱり戻ろう」

僕がそう言った時だった。彼女が急に止まった。

「行き止まりだわ」

「行き止まり?」

体を横にして彼女の横に行ってみると、確かに行き止まりになっている。レンガを積み上げた石の壁が行く手をふさいでいて、その下の隙間から水がチョロチョロと流れている。

「どうする?」

僕が彼女にそう言った時、後ろで水が溢れるような激しい音がした。見ると、向こうの方から穴一杯に流れる水がこちらに迫ってきている。

ーこれはまずいー

やはり、この穴のどこかから水路に水が流れ込んでいて、それが今放出されたに違いない。僕は、その瞬間、意外に冷静にそんなことを考えていたのだが、彼女はガタガタと震えていて、僕の手をぎゅっと握っていた。

「大丈夫だよ」

全く大丈夫ではなかったのだが、なぜか僕はそう言っていた。ただし、激しい水の流れはすぐそこにまで迫っていた。

ーどうする?-

瞬間な判断で、僕は思いっきり僕たちの進路を塞いでいるレンガの壁を蹴った。それでどうにかなるものでもないだろうが、それしか思いつかなかった。

すると、回転扉のように壁が、ぐるん、と回転した。

ー行くしかないー

僕は彼女の手を引き、壁の回転に沿って体を壁の向こう側へと移動させた。

壁が元に戻った瞬間、水が炸裂する凄まじい音がして、大きな地震があった時のように空間が揺れた。

「怖い」

「大丈夫だ」

僕は彼女を引き寄せ、目を閉じながらそう言った。地鳴りのような音が響き終わるまで、僕は屈んだ姿勢のままで彼女の両手を握っていた。

しばらくして、地鳴りのような水の炸裂音と揺れがなくなったので、僕はゆっくり目を開けた。

「ここ、広いね」

「そうだね...」

壁の向こうに広がっていた空間は、さっきまでいた狭い穴の中とは違い、かなり広い。

上を見上げてみると、天井が見えず、暗闇が広がっていた。

その暗闇の中で、もっと黒い何かが蠢いている。

それはまるで、宇宙空間に存在している暗黒物質のようだった。真っ暗な闇の中で生成されるそのダークマターは、ゆっくりとこの空間全体に広がり、僕たちを包み込もうとしている。

「あー」

彼女が大きな声でそう言うと、その声は少し壁に反射して響いたのだが、天井の闇の中で蠢くダークマターに吸収され、すぐに消えた。

「とにかく、先に進もう」

ここまで来たら、もう先に進むしかないので、僕たちは再び歩き出した。

不思議なことに、この空間は足元の水がぼんやりと光っていて、暗闇に目が慣れ切っているため全く問題なく前に進むことが出来た。

「ねえ、たぶんあそこからだわ」

しばらく歩いていると、彼女が立ち止まってそう言った。

「?」

「ほら、あそこ。あの扉の向こう側から声が、私に呼び掛けてきたの」

「夢の中で?」

「そう」

その古い木製の扉は、レンガ造りの水路の壁にはめ込むように設置されていて、小さな階段を登れば扉の取手に触ることが出来る。

分厚い年輪が刻まれたその古い木製の扉は、まるで異空間への入り口のようで不気味でしかなかったのだが、すでに異常な状況に陥っていたせいか、僕たちの感覚は麻痺してしまっていた。

「行きましょう」

彼女は、そう言って階段を登り、扉の取手に手を触れた。

カチャっという音が、真っ暗な空間に微かに響いた。

→to be contenued

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