定年離婚とお金の問題という退職後の爆弾について考える
定年後に離婚する夫婦が増えているらしいが、最近ではよく熟年離婚という言葉を効く。
定年までよれよれになって働き、ようやく退職の日を迎え、送別会で貰った花束を持って自宅に帰ると、机の上に離婚届が置いてあった、というシャレにならない話もある。
定年後の離婚については、女性の方が男性に愛想をつかせて離れてしまうというケースが多い。
実際、自分の親の知り合いがリアルに何人か熟年離婚していたが、離婚されたあとは大体男の方が悲惨な状況になってしまう。
男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く、という諺があるが、離婚した後の男性はそれまでしていなかった家事などをせざるを得ず、まいってしまうことが多い。
一方で、女性の場合は切り替えが早いので、離婚した後に財産分与したお金で旅行したり、友達と趣味の教室に通ったりと、残りの人生をエンジョイする。
そういった話を聞くたびに思うのだが、本当にサラリーマンとは悲しい生き物だ。
定年までストレスまみれになって働き、糸のほつれたスーツで足を引きずるようにして通勤を繰り返し、ボロ雑巾のようになって退職の日を迎えると思ったら、次は定年離婚...。
もうやめてよ...。
まだ妻すらいない自分が恐怖を覚えてしまうほどの過酷な運命を、サラリーマンたちは背負っているのだ。
定年離婚が不可避なら趣味の副業を持っておこう
日本の真面目なサラリーマンたちは、仕事が趣味という人も多く、定年退職後に何をしたらいいのか分からなくなり、途方に暮れてしまうという。
「よーし、定年後は家でゆっくり余暇を楽しむぞ!!」
そう思っていたにも関わらず、家では家族に疎まれ、行き場がなくなって公園でブランコに乗るしかない、という定年退職後のサラリーマンもいるだろう。
昔、いつも行っていた居酒屋で話しかけてくるオジさんがいて、そのオジさんが言っていたのだが、
「仕事せんようになったら、やることないんよ!!」
目をむき出しながらそう言っていたそのオジさんは、定年退職まで真面目に勤め上げたサラリーマンだったらしく、定年後は嫁に疎まれて家に居場所がなくなり、日曜の夕刻から居酒屋で酒を飲むようになったらしい。
そのオッサンの不幸を絵にかいたような顔を見ると、なんとなく切なくなってビールを注いであげるのが恒例だった。
「おにいちゃん、ありがとう!!次の店はワシが払うわ!とかね、現役時代だったら言うとこだけど...」
「...」
このオジさんに限らず、定年後にやることがなくなってしまうサラリーマンは多い。
まあ、気持ちは分からないでもないし、自分もそうなるかもしれないが、それなら副業でもやって金を稼いだ方がいい。
将来的に定年離婚することも想定し、早いうちから趣味兼副業みたいな仕事を作っておき、定年後もその仕事に集中出来るような状態を作っておけば、たとえ定年離婚したとしても「お金」の問題で悩むことは少なくなるだろう。
財産分与や年金分割により老後資金が減ったとしても、きちんとそうした収入源を確保しておけば、生きていくのには不自由はしないはずだ。
ただ、定年後からそういった収入源を作るのは難しいので、やはり若いうちから取り組んでおいた方がいいのではないだろうか。
やはり自分に依存した方がいい
定年離婚の問題や、老後の問題、それからサラリーマンを取り巻く様々な問題を見ていて思うのだが、やはり依存すべきは「自分」であって「他者」であってはいけない。
家族、会社、それから友人など、それらの存在は自分の人生を華やかにしてくれる素晴らしい存在なのだが、一方で自分自身ではコントロールが出来ない存在でもある。
そして、それらをコントロール出来ないのにコントロール出来ると思うことにより、様々な悲劇は生まれる。
特定の誰かや何かに依存している場合は特にそうで、その依存の対象が離れていってしまった場合や、思い通りにならない場合は、かなり苦しい思いをすることになる。
なので、ベースは自分自身に依存する、という姿勢が非常に重要だと思う。
人生とは、自分というフィルターを通して見る仮想現実だと言っても過言ではない。
自分というコントロール可能なフィルターに依存している状態であれば、比較的人生をコントロール出来るようになる。
まあ、分かりやすく言うと「自分を信じる」ということだな。自分という存在を信じて、自分に依存していれば、案外人生というのは楽なような気がする。
そのため、定年後のサラリーマンに限らず、やはり「自分を信じる」ということは非常に大切なことだろう。
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