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Amazon一本槍投資戦法について

木々や花々にはそれぞれの季節がある。

春にしか咲かない花もあれば、夏にしか咲かない花、そして冬にひっそりと咲く花もある。

木々も春には色薄い若葉を、夏には目に眩しい新緑を、そして秋には鮮烈な紅葉を枝に蓄えて人々を楽しませる。

自然界には様々な分散が極限まで調節されたバランスで散りばめられているのだ。それはまさしくアートで、誰もそのバランスを変えることは出来ないし、誰もそのバランスを調節することは出来ない。

投資はアートだという言葉が投資の名著でよく登場する。普遍的な法則や絶対の成功法則がなく、限りなくアンバランスな世界だからだろう。

だからこそ、著名投資家たちはその頭脳によって描いたアートによって称賛されるのだ。誰にも真似ができないアートによって富を得た者は称賛されるにふさわしい。

しかし、そんなアートの世界にもたった1つの法則がある。

それは、富を分散させるということだ。

🎨

異端児すぎるAmazon

最近、米国ブログ村に彗星のように現れたブログがひとつある。

Amazonだけに投資をするという驚異的な投資方法で、一気に注目を集めているお方のブログだ。

登場してからあっという間にブログランキングの上位に食い込んでいくその様子を、すげーなと思いながら見ていた。

そのお方は無配の超成長企業であるAmazonだけに投資資金を預け、その成長を信じ続けて資産を拡大していくという投資方針のようだ。

正直、すごいなと思った。おいらには絶対に無理だ。

確かにこれまでの実績や自分の周りを侵食しているAmazonのサービスを見ていると、これからも絶対的に成長していく企業だと思う。

なんでもAmazonは、天空の城ラピュタのような飛行式の倉庫をつくり、そこから商品をドローンで人々に届けるという計画を本気で考えているような企業だ。

トヨタも実は空飛ぶ車というのを結構本気で作ろうとしているらしいが、Amazonの発想力に比べると貧相に感じてしまう。

Amazonダッシュボタンというサービスがあるが、ようはAmazonプライムの会員がWiFiでネット接続されたボタンを押すと事前に登録しておいた欲しい商品がソッコーで届くというサービスだ。

テレビでそのサービスを初めてみたとき、「昔のSF映画ですか?」と思ってしまった。ボタンを押すだけで欲しい商品が届くとか普通で考えたらありえない発送だ。

まさに異端児、異端児すぎる企業だ。普通の会社では企画段階で一瞬で却下されるサービスを一瞬で現実化させてしまうのだ。

さらにAmazonは最初は本の通販のみだったのが、今では様々な事業に進出し、各事業で異端児ぶりを発揮しまくって既存企業を駆逐し続けている。

もしかしたら、将来Amazonがどこかに土地を買い取ってそこに町をつくり、その町に住む会員は一定額を支払えばAmazonから生活に必要な物資やサービスが提供されるというサービスだって現実化してしまうかもしれない。

そうなればAmazonはもはや企業ではなく1つの国になる可能性がある。

現在、世界の国々はリーマンショック後の金融緩和のおかげで債務でパンパンの状態だ。ギリシャが以前デフォルトしそうになっていたが、債務でパンパンのどこかの先進国がもしもデフォルトして連鎖的にいくつかの国々がデフォルトすれば世界中が混乱の渦に陥るだろう。

その時に、Amazonがどこかの小さな国を買ってしまうということが起これば、Amazon株を持っている人たちは兆クラスの資産を築く可能性だってあるかもしれない。

そんなメルヘンさえ感じさせてくれる企業だ。

究極の集中投資

Amazonの成長一本に賭けるという投資方法は賛否両論あるかもしれない。しかし、よく考えるとある意味合理的なのかもしれない。

間違いなく、成長力・事業拡大力でぶっちぎり世界NO1の企業なのだから、その成功はこの先もUPとDownを繰り返しながらもかなり確実に約束されているだろう。その成功に賭けるというのは確率論的にはAmazonの実績を見ると正しいと思う。

だけど問題はDownに耐えられるかだ。もっと言えばDownが来る不安にも耐える必要がある。

株価というのは真っすぐ一本道で上昇していくということは100%ない。必ず小さいながらもUpとDownを繰り返す。小さいDownならまだ耐えられるが、大きなDownが来ればかなり精神的に参ってしまう。

Amazonのほかにも1つの銘柄に集中投資をしていらっしゃる方をたまにお見かけするが、正直本当にすごいなと思う。

その精神力に敬意を表さざるを得ないと思うからだ。

お金というのは物凄く精神とリンクしている物質であり概念だとおいらは思っている。

例えば含み損というのはまだ現実化していない損失のことだが、含み損が発生すると大体の人は嫌な気分になる。まだ現実化していない、事実になっていない損失にも関わらずだ。

PBRが1倍以下の株であっても、含み損になれば果てしなく悲しい気持ちになる。とても資産価値以下で購入しているから損はしていない、ドンマイ!と開き直ることは出来ない。現においらは保有しているPBR0.5倍くらいの株が-20%くらい下落しているが、とてもドンマイどころの気分ではない。

これはなぜかというと、お金というのは人の精神と強く結びついていて、現実としてお金が減っていないにもかかわらず、その数値が「自分の考えている数値」と少しでも剥離すれば精神が萎えてしまうからだと思う。

そしておいらたちが「自分の考えている数値」として認識しているのが日本円だ。だから日本円として少しでも損が出てしまえば、とても悲しい気持ちになってしまうのだ。

おいらが思うに、1つの銘柄に集中投資出来る人になるには、その銘柄自体が根本的に円を遥かに上回ると脳にインプット出来ている人たちだと思う。だけど本当に脳にそうインプット出来るのはごくわずかな人に限られているだろう。

集中投資は基本的には投資のセオリーに反する投資方法だ。しかしあえてそこに挑戦し、自己資金を賭けている方たちには本当に敬意を表する。

アートとは精神の具現化だ。色形のない精神というものを自分の肉体というフィルターを通してキャンパスに絵を描き、文字で物語を綴る。そして投資家は資金を資産に振り分ける。

1銘柄集中投資はある意味限られた者にしか出来ない究極のアートなのかもしれない。

保守的に分散する

分散する、ということは危険を避けるということだ。

おいらは何年か前、お恥ずかしながら旅行中に財布を落としてしまい非常に困ったことがある。その時、たまたま財布と分けてクレジットカードを持ち歩いていたおかげで随分と助かった。

結局財布は見つからなかったが、この時の体験で分散するということの大切さを実感した。もしもクレジットカードを分散して別に持っていなければ、おいらは見知らぬ土地で路頭に迷うところだった。

恰好をつけて言うわけではないが、これは女性についても言えることだと思う。もしもあなたに連絡を取り合っている好きな人がいて、その人と両想いになりたいと思ったら、別の女性とも連絡を取り合うことをお勧めする。

相手もあなたが好きな場合は別だが、そうでない場合はあなたがその人に「集中」して連絡するとかなりの確率でその人はあなたに対して違和感を持つだろう。しかし、同時に何人かと連絡を取り合い、そして会っていればその人に対して「集中」して連絡することはないはずだ。

そうすると結果的に長く連絡を取り合うことになり、その人があなたのことを好きになる可能性は高くなる。なぜかというと、長く連絡を取り合っている間にその人が仕事で弱っているときや悩み事を抱えているときが訪れる。その時に電話で真面目に話を聞いて、その後に会う約束をすればいい。そして会った時の印象が予想外によければ、その人はあなたのことを好きになる可能性は無策でいくよりもかなり高くなるだろう。

しかし、これには我慢が必要だ。その人が振り向いてくれない期間を耐えるという我慢が。だからこそ分散するのだ。ほかの女性と定期的に連絡を取り合っていれば、常に満たされている状態なので心にも余裕が生まれる。そして最終的には本命の女性にもその余裕が魅力的に映る、という好循環が生まれる。

以上が、おいらが深夜にしている祈りに似た悲しい妄想だ。もちろんおいらに彼女はいない。引かないでこの先を読み進めて欲しい。

🚺

脱線したが、お金でも人間関係でもある程度の分散をしておくことは結果的に自分の身を助ける場合が多い。

「分散投資」

この何気ない言葉には、おいらのような凡庸な投資家を危険から守り成功に導く全ての要素が詰まっている。

なぜなら凡庸な投資家は非常に多くの間違いを犯すからだ。銘柄、買うタイミング、買うボリューム、数えだしたらきりがない。

頭の冴えた投資家、ハワードマークスの言う2次的思考をマスターした投資家ならば、かなりヘマの数を減らせるだろうが、凡庸な投資家はそうはいかない。

おいらはこの先多くの失敗を投資で犯すことを覚悟している。だからこそ、銘柄、買うタイミング、買うボリュームは分散するようにしている。

このように分散をしていれば、ある時点での失敗がある時点では成功となる確率を高めることが出来るからだ。失敗とは損失で、成功とは利益のことだ。

例をあげると、ある時点で買った配当利回り5%の株が買った直後に10%下げたとする。この時点では失敗=損失が出ている状態だ。その2年後、株価が5%回復したとすると単純計算で -10% +5%+配当5%×2回=5%の利益が出る。つまり失敗が成功に変わるのだ。

こう単純にはいかないが、ダダ下がりして含み益をたっぷり抱えていた銘柄がいきなり暴騰するということもある。

株式投資だけをやっている時点で分散投資が出来ていないという意見もあるかもしれないが、株式投資は世の中の構造的に究極の資産形成方法だと思うので、その点は個人的にはあまり問題が無いと思っている。

だから、株式投資をする中で前述したような分散投資を行い、出来るかぎり資産を増やす努力をしていくしかないとおいらは思っている。

知性も知識も胆力も、何も特別なものは持たない凡庸な投資家であるおいらは、保守的な投資方法である分散投資にすがりついて、今後も株式投資をやっていく所存である。

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Amazonのアフィリエイトでハワードマークスの本を紹介していたら、何故か調味料が売れていました。

買って下った方、本当にありがとうございました。そして、なぜこのブログから調味料をご購入していただいたのでしょうか。まだおいらの手料理コーナーは開いていないはずなんですが...。

■バフェットも絶賛の一冊です

かぶまくら