待ち合わせ、という言葉を聞くと何となくワクワクするのは僕だけだろうか?
もちろん、仕事での待ち合わせではなくて、プライベートでの待ち合わせを前提としてお話しているのだが、「待ち合わせる」という言葉には、そこから何かが始まりそうな響きがある。
「どこの店いくん?」
「大丈夫、店予約しといたから」
改札で待ち合わせした女の子は、アルバイトをしていた店に来たお客さんで、接客中に紙に「メルアド教えて」と書いて見せたところ、なぜか教えてくれた。
学生時代、働いていたアルバイト先で女性客からメルアドを聞き出す技を編み出した僕は、たまにこうして客のメルアドを聞いたりしていた。
コツを言うと、真面目に商品を説明して最後に、「ちょっとこれ見てもらっていいですか?」と言って「メルアド教えて」と書いた紙を見せると相手は笑って教えてくれるケースが多かった。※バレたらバイトを首になる可能性があるので絶対にマネしないで下さい。
その後は顔を興奮で真っ赤にしながら絵文字付きのキモいメールを送りまくって電話番号も聞き出し、怯えた小動物をあやすような声で電話をして食事にさそったりしていた。
もちろん、音信不通になるケースもあるのだが、たまに小動物たちを駅の改札前におびき出すことに成功したりもした。
そうしておびき出した小動物たちと「待ち合わせ」をする瞬間は、本当に胸がドキドキとして高揚感に包まれていた。
「ふごおお、ふごおおおおおおおお!!」
思わずそう叫んでしまうほど興奮していたのだが、きちんと用意は周到にしており、居酒屋を予約し、その後小動物を連れていく小屋の場所も事前に調べてるようにしていた。
こうしてバイト先で稼いだをお金をバイト先で出会った小動物たちにつぎ込んでいたため、学生時代の僕はいつもお金がなかった。
学生にしてはまあまあ稼いでいたと思うのだが、全部そういうことに使っていたので、手元にはお金がほとんど残ることはなかった。
しかし、特にその時は後悔をしたりすることはなく、
「あー楽しかった...ふ、ふごおおおおああああああ!!」
という感じでよいお金の使い方をしたと思っていた。
そして、今でもあの頃のお金の使い方は中々悪くなかったと思っている。
というのも、それはその時にしか得られない経験をするためのお金の使い方だったからだ。
ちなみに、その頃の僕が1回の小動物とのお散歩でどれくらいのお金を使っていたのか...ざっと計算をしてみた。
・居酒屋:6000円~8000円
・愛小屋代:5000円~10000円(多分これくらいだった)
・その他:1000円~2000円
大体平均すると15000円以上は使っていたのではないだろうか?
その後小動物とのお付き合いが長くなったりした場合、平行して他の小動物をおびきだすためのお金もかかったりするので、月に換算すると学生にとっては結構な出費になったりする。
一方で、それだけのお金を支払って得たその時の体験は、「学生時代の自分しか経験出来ない体験」だ。
「ふごおおおおお、おおあああああ!!」
と、小動物と触れ合うだけで興奮して叫ぶほど元気がよく、体力に満ち溢れ、時間を持て余していたその頃の自分と、今のショボくれたサラリーマンの僕とでは感性が違っている。
その時の僕だったからこそ、小動物たちとの心温まる交わりに、「ふごおおおお、ふごおおおお!!」と興奮できたわけで、その経験は今でも脳に記憶として刻み込まれている。
人の人生は記憶の積み重ねによって構成されていて、あの世に持っていける可能性があるのはその人がその人生で体験した「記憶」だけだろう。
そう考えると、お金を支払って体験を得ることは自分の人生を完成させる上で極めて重要だと言える。
しかし、だ。
例えば自分が70歳くらいの老人になった時に例えば1億円をもっていたとしても、もはや小動物たちは相手にしてくれないだろう(PAPAになるなら別だが...)。
つまりは、その時の自分にしか出来ない経験は、その時しかお金で買えないので、あとあとそれを経験しようとしてもお金では解決できなくなっているケースが多いのだ。
そして、老人になればなるほど、体力は落ち、好奇心も薄れていくので、経験できる体験にも限りが出てくる。
そのため、結果として老人になればなるほどお金の価値は「経験を得るためのツール」としては下がっていってしまうのだ。
最近は倹約思考の若者が増えたせいか、学生時代から貯金に励む人も増えているという。
確かに、学生時代から貯金をしてインデックスファンドを買ったりしていれば将来的に大きな資産を築くことが出来るので、かなり有意義な取り組みだと言えるだろう。
一方で、だ。
「若い頃の時間」は例え1兆円支払っても戻ってくることはない。
1兆円支払って最新の科学技術を使っても、このかぶまくらを19歳の若者に細胞レベルで若返りさせることは不可能だ。※出来るのであれば、すでにトランプがもうやっているはずだ。
つまりは、「時間」はお金では買えないのだ。
そのため、お金を使うことを我慢し続けると、お金を経験に変えることが出来る「時間」をロスし続けることになり、場合によっては味気ない人生になってしまう可能性があるのだ。
僕は一応投資ブログを運営しているので、無駄な浪費は決して人にはお勧めはしないが、その時の自分が「これは経験したい」と思うことがあるのであれば、その体験のためにはお金は使ってもよいと思う。
例えば、2年前に海外旅行に行きたい、と思って行った人は異国の地の情景やその時の楽しい経験を「記憶」として脳にインプットすることが出来たが、今ではコロナでそれは不可能になってしまっている。
そのため、その時に「行きたいけど...お金がもったいないから我慢しよう」と我慢した人はその体験をしたくても出来ない状況になってしまっている。
このように、その時のタイミングでしか出来ないことも結構あるので、「自分はその体験を記憶として手に入れたいか?」と自分に問うてみて、その結果「どうしても手に入れたい」と思うのであれば、それには我慢せずにお金を使った方がいいだろう。
もちろん、きちんと自分の収支の管理をすることは重要なのだが、節約をしすぎると時間の経過とともに、「体験を得る手段」、としてのお金の価値が下がってしまう可能性があるので注意が必要だ。
お金は使ってこそ生きる、とも言われるが、確かにその言葉には一抹の真理が含まれているのではないだろうか?
株で夢をかなえよう