セミリタイア、それは甘い響き。
セミリタイア、それは暗闇に灯された、ただ一つの光。
セミリタイア、したいよ、だって人間だもの。
有名な詩人である、かぶまくら氏が詩集で表現していた通り、セミリタイアという言葉に多くのサラリーマンたちが夢を見ている。
というのも、配当金などの不労所得で生きていくセミリタイアという生活は、今現在われわれサラリーマンたちが修行僧のように耐えているこの苦しい環境とは真逆の生活だからだ。
「今日はお昼に起きちゃった」
そんなことを書いているセミリタイア者に関する記事を見ては、「俺も昼に起きたいよ、ママ」と呟きながら朝5時起きで会社へ出社する毎日...。
そう、我々サラリーマンたちは朝は早く、夜は遅く、そして仕事中は苦しく、という現代資本主義社会における3重苦に悩まされ続けている。
なので、セミリタイアした人々が楽しそうな日常を書いているブログや、関連する書籍などを見てはタメ息をつき、こうつぶやくのだ。
「ああ...俺もセミリタイアしてえよ」
そんな憧れのセミリタイアだが、大体のケースでは株式の配当金や不動産からの家賃収入だけで生活しているというパターンが多い。
しかし、実際にシュミレーションしてみると、意外な問題点もあることに気が付くだろう。
さて、日本中のサラリーマンたちが憧れるセミリタイアについてだが、実際のところ配当金だけで生活をしていると早い段階で「飽き」がくるだろう。
少し記憶をさかのぼって思い出してほしいのだが、皆さんも大学生や高校生の頃の夏休みに何日も何もしない日が続いて、「あれ...なんかダルい」と感じたことがあるのではないだろうか?
配当金だけでセミリタイアするということは、その状態が永久ループで続くということだ。
「人と話をしない生活」というのは、人間にとってかなりストレスがかかる生活だ。
というのも、人間というのは社会、つまりは何かしらの集団に属していることで自己承認をしたりリラックスしたりする生き物なので、セミリタイアして配当金だけで生活して何もしない状態が続くと逆に苦痛に感じる可能性が高いのだ。
そのため、セミリタイアするにしても、自分が時間をつぎ込む作業、を用意しておいたりする必要があるだろう。
そうしておかないと、セミリタイアをしたはいいものの、そのままボケ一直線という悲惨な展開になってしまう可能性があるからね。
最近思うのだが、ここ日本でセミリタイアしたがる人々が異常なほど増加している理由は、インターネットが発達したことにより人々の価値観が大きく変化したことが影響しているのではないだろうか。
例えば、1990年代に「わい、セミリタイアするんや」と会社の同僚に言ったなら、「何言っているの、お前??」と言われた可能性が高い。
というのも、その頃はそもそもサラリーマンがセミリタイアするケースが極めて少なく、そういう人がいたとしてもその情報が伝わってこなかったからだ。
しかし、今の時代はどんな情報でもネットを使えばほぼほぼ仕入れることが可能になっている。
なので、多くの人々が「セミリタイア」という状態がどのような状態なのか、一体どうすればその生活を実現できるのか、ということを知ることが出来るようになっている。
そのため、その知識を活かしてセミリタイアする人が増え続けているのだ。
やはり、スマホの普及によるインターネットの発達というのは目に見えないような変化を社会に与えているんだろうね、まだ我々が気が付いていない部部においても...。
まさに、インターネットは現代版バベルの塔だと言えるだろう。
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