「我慢が出来ない...」
依存症というのは、その対象が何であれ、本人自体に自覚がない場合が多いが、一種の病気であることは確かだ。
代表的なところでいうと、アルコール、ギャンブル、薬物など、依存症と聞くとイメージ出来るのは大体破滅的なものばかりである。
これらの物や行為に依存している場合、自力でそこから抜け出すのがかなり難しいケースが多い。
例えば、アルコール依存症の場合、飲んでいる本人は依存症であることに気づいてはいないが、周囲から見ると明らかに常軌を逸している場合がほとんどで、自力でそこから這い出すのは難しい。
そのため、アルコール依存症専用の治療機関等もあるのだが、せっかく一度は依存症から抜け出したとしても、再びアルコールを摂取し始める人も結構多い。
そして、酒の場合もそうだが、ギャンブルもその傾向が強く、特にパチンコはその依存性が非常に高く、中にはパチンコにのめり込み過ぎたせいで人生が破綻してしまう人さえいる。
アルコールやギャンブルの場合、薬物と違って規制の対象にはなっていないので、手に入れたり遊んだりしようと思えば金が続く限りは可能だ。
そのため、最初は「これくらいなら大丈夫」と思っていたのが、「もうダメだ」という状態になるまでさほど時間がかからない場合が多い。
なぜかというと、前述した通り「依存症」に疾患している患者は、自分自身が病気であることに気が付いていないので、破滅寸前になるまで自分が危険な状態にあることが分からないのだ。
そして、最近ギャンブル依存症を加速させている深刻な要因の一つとして、銀行が提供するカードローンサービスが問題視されていた。
以前書いたこの記事で、ギャンブルの費用とすることを目的に銀行カードローンを借りる契約者が利用者の内数パーセントいると書いた。
普通の神経で考えれば、銀行のカードローンで借金をしてまでギャンブルをするなど正気の沙汰ではないが、当の本人たちは依存症特有の強迫観念に襲われ、否応なしに金を借りるしかないのだ。
そして、借りた金をギャンブルで使い果たすとまた借りてしまう。それを繰り返すと最終的には多重債務者となり、自己破産を選択するしかなくなってしまう。
「依存症になるのって、意思の弱い人だけなのでは?」
一般的にはそう思われているが、誰だって依存症に陥ってしまう可能性を秘めている。
例えば、ささやかな一日の楽しみとして、毎日夜にケーキを一つ食べている人がいたとする。そして、たまたまその人がケーキを買い忘れた場合、こう思うだろう。
「何かもの足りない」
その場合、毎日習慣として食べていたケーキを食べることができず、血糖値が上がらなくてイライラする可能性が高い。
また、毎日ジム通いをしてプールで泳いでいた人が、たまたま仕事が忙しくて数日ジムに行けなかったらこう思うに違いない。
「早くジムで泳ぎたい」
そして、どうしてもジムに行ってプールで泳がないと気がすまなくなり、ある日それが抑えきれなくなり、出勤前にジムに行きプールで泳いでから出社するという選択肢を選んでしまうかもしれない。
これは、その対象が酒やギャンブルでないだけで、軽い依存状態の一種だと言える。
ケーキを食べたり、ジム通いをすることは決して悪いことではないが、度を過ぎると人生に悪影響を及ぼす場合もある。
例えば、ケーキを食べすぎて糖尿病になってしまったり、プールで泳ぎすぎて深刻な肉離れを起こしてしまったり。
そして、その場合でもその当事者たちは、「ケーキを食べたい」、「プールで泳ぎたい」と思うに違いない。
ここまでくると、アルコール依存症やギャンブル依存症と同じく、依存症に疾患している状態だと言ってもいいだろう。
奥田英朗という作家の「イン・ザ・プール」という小説に、その辺りの話が詳しく書いているので、興味のある人は読んでみるのもいいだろう。
おいらは随分前に読んだのだが、中々面白い小説だったと記憶している。
このように、依存症というのは、すでに本人が気付かない間に疾患しているか、その潜在予備軍であるケースもある。
ただ、依存する対象によっては全く害のない場合もあるし、何かに依存することがその人の生きるエネルギーになっていることもある。
ギャンブル依存症が問題視されるのは、依存する対象が圧倒的に破壊的で、深刻化するとその人自身だけではなく、周囲にも大きな悪影響を与える場合が多いからだ。
ボランティア依存症の人がいても、誰も注意なんてしないだろう(家族は嫌がるかもしれないが)。なぜなら、本人が依存すればするほど、道からゴミがなくなったり、募金が集まったりするかもしれないからだ。
一方で、家族の誰かがギャンブル依存症となってしまった場合、収入が途絶えて生活が成り立たなくなってしまったり、家族の誰かが借金を肩代わりするハメになる場合もある。
そのため、ギャンブル依存症は社会的にもかなり問題視されている依存症の一つだ。
そして、そういったギャンブル依存症患者を増やしている要因の一つとして銀行のカードローンが問題視されていることを受け、全国銀行協会が貸付自粛制度を導入することを決めた。
貸付自粛制度とは、浪費癖があったりギャンブル依存症の人間を対象に、本人や家族の申告によって、その情報を個人信用情報機関に登録し、一定の期間その個人信用情報機関の会員である金融機関での貸付を制限する制度のことだ。
つまり、本人や家族の申告により、国内の金融機関でカードローン等の貸付融資を受けることが出来なくするのだ。
それによって、ギャンブル依存症患者の数を抑制していくのが目的だ。
このような制度を金貸しである銀行が属する協会が設置すること自体驚きだが、つまりは日本のギャンブル依存症患者問題は我々が思っている以上に深刻だということだろう。
厚生労働省の調査によれば、成人1万人を対象とした調査で、生涯でギャンブル依存症が疑われる状態になったことがある人の割合は3.6%にも達する。この数値は人口にすると320万人だ。
日本人は他国に比べても非常にギャンブル依存症が疑われる人の割合が高いのだ。
ところで、全国銀行協会が設定した貸付自粛制度により、銀行カードローンによる破産者の数は減るのだろうか?
おいらが思うに、「銀行カードローンによる破産者の数」は減るかもしれないので、相対的に見て破産者の増加を一定抑止する効果はあるように思う。
というのも、銀行のカードローンは非常に甘い審査で借りることが出来、銀行の信用力もあってか、一般の消費者金融よりも敷居が低いように思われているからだ。
なので、誰でも気軽に金を借り、そして予想外に高い利息に驚くこともなく、気が付けば借りた金が返せない状態となり、別の金融機関で借りた金でローンを返済する多重債務者になるケースもある。
そういったケースを防止するという意味では、本人申告は効果があるのか疑問だが、家族による申告であればある程度の効果はあるように思う。
しかし、依存症の患者というのは、「酒が飲みたいと思ったらどうしても飲みたい」、「ギャンブルがしたくなると、もう絶対に我慢が出来ない」、という衝動に年がら年中苦しめられている。
そのため、銀行のカードローンで金を借りることが出来なかった場合、闇金などで金を借りてしまう可能性もあるだろう。
「やりたいと思ったら、絶対にやらないと気が済まない」というのが依存症だからね。
なので、やはり銀行のカードローンを制限したくらいでは、破産者やギャンブル依存症の患者の数を激的に減らすことは出来ないだろう。
ただ、「気軽にカードローンに手を出して破産する層」の数をある程度抑止することは出来る可能性はあるので、一定の抑止効果はあるのではないかと思うのだ。
それにしても、いったいなぜ日本人はここまでギャンブルが好きなのだろうか?
おいらも昔、パチンコ屋に出入りをしていた時期は何度かあったが、絶望的にギャンブルの才能がなかったため、ハマることはなかった。
ただ、玉が出たときにはやはり興奮はした。
一度、友人に誘われて朝パチンコ屋に行った時に、開店のだいぶ前の時刻にすでに客が列をなしているのを見て驚いたことがある。
そのとき印象だったのは、みな目が血走っていて、開店と同時に店の中へなだれ込んでいったことだ。
「そこまで楽しいものなのか?」
そう思ったのだが、恐らくあの中の何人かはギャンブル依存症だったのではないかと今にして思う。
そして、よくよく考えてみると、自分がFXにハマっていたときも一種の依存症状態だったといえるだろう。
パチンコ、競馬、FX、株の新党取引、先物のオプション取引。
日本では、その気になれば一瞬で人を破産させることが可能なゲームに、誰でもすぐに手が出せる環境が完全に整備されてしまっている。
なので、誰だってギャンブル依存症になる危険性はあると言っていい。
それを防止する方法は、恐らくたった一つだけだ。
それは、「これくらいなら大丈夫」、と思って気軽にそういったものに近づかないことだ。
危うきには近づかず。
それが、ギャンブル依存症を回避するための一番有効な方法ではないだろうか。
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