暗いワンルームマンションの一室で、事切れる瞬間、そんな想いがよぎっていたが、それも一瞬のことだった。
最後に感じたのは、ストロング系チューハイのビターな刺激で、泡の感触が舌の味蕾を刺激したのを感じたと同時に、視界が真っ暗になったのだ。
そう、私は会社から帰宅し、誰もいないワンルームマンションの一室で寂しい宴を始めた瞬間に心臓が停止し、この世と別れを告げることになったのだ。
体から魂が抜けてゆくのを感じ、天からの使者が、私を迎えにきているのが見えた。
しかし、それでも私の魂はまだ生への執着から、肉体へ戻ろうと必死であがいていた。
ー神様、まだ私に時間をくださいー
ー神様、もう少しだけー
名作ドラマ「神様もう少しだけ」で、歴史に残る素晴らしい演技を見せていた深田恭子並みに必死にもがき、肉体に戻ろうとするのだが、一瞬だけ意識が戻ったと思ったら、お迎えにきていた天使が再び私の魂を肉体と引き離した。
その刹那、意識の残像みたいなものが、しん、とした空気の中で、最後の断末魔のようにこう叫んだ。
ー愛してるよ、猫美ー
さて、シャレにならない話をするな、と思った方もいるかもしれないが、実際に孤独死する人の人数は増えており、自分自身もアラフォーの独身なので、孤独死予備軍の筆頭みたいな感じとなっている。
実際に「死」という言葉を聞くと、なかなか身近に感じることは出来ないかもしれないが、親類の葬式なんかに行って、少し埃がかった昭和の残骸みたいな遺品を見ると、割合に死とは身近なものだと感じることが出来る。
人間が生まれてから全員に平等して確定していることは、確実にいつか「死ぬ」ということだけ、というフレーズが、昔よく読んでいた小説作家の池波正太郎の作品に出てきていたが、それは確かにその通りだと思う。
つまり、我々は生まれた瞬間から「死」というゴールが設定されていて、生きている間に起こる様々な出来事は、そのゴールに至るまでの単なる風景でしかないのかもしれない。
これは、白人であろうが黒人であろうが日本人であろうが、どの種族民族にも共通している事実だ。
そんな風に考えると、このブログの主テーマとなっている「お金」との向き合い方も、少し違った視点で考えることが出来るのではないだろうか。
ちょっと数えて欲しいのだが、皆さんは今財布の中に何円入っているだろうか?
クレジットカードしか使わない、という方は、今月の使用可能残額でも確認してもらえればいい。
そして、その次はそのお金を使って一体何が出来るのかということを考えて欲しい。
1万円が入っていたなら、居酒屋に行くことも出来るし、遠くの方の日帰り温泉に行って何か食べて帰ってくることも出来るし、趣味で集めているものを買ったりすることが出来るだろう。
クレジットカードの使用可能残額が数十万円もあれば、沖縄や北海道、海外などの遠方に旅行に行くことも出来るし、引っ越しをして新しい家に住むことも出来るだろう。
そして、そういったことにお金を使ったとき、一体どんな気分になるだろうか?
旅行に行ったりすれば「風景がキレイ」だと感じたり、居酒屋に行けば「酒がうまい」と感じたり、引っ越ししたりすれば「新しい家が快適」だと感じたりするだろう。
その気分の変化こそが、前述した「死」というゴールに向かう過程における「風景」だと僕は考えている。
つまり、お金を使って楽しい体験をすると、人生における「風景」が鮮やかになっていくのだ。
これこそが、「お金」という媒体が持つ最大の価値であり存在意義だと言えるのではないだろうか。
そう考えると、「お金を使う」ということに意識を向けることは、「お金を貯める」ということ以上に重要だと言える。
人間は生まれた瞬間に死ぬことが確定しているのであれば、そのゴールに向かって「お金を使う計画」と、その使うお金を貯める計画を立てる必要がある。
多くの人々は、お金を貯める計画の方を作る方には力を入れるのだが、人生の風景を本当に鮮やかにするための計画を立てることには無関心だ。
だから、行き当たりばったりにお金をつかってしまい、その結果金欠状態になったり負債を背負った状態になってしまうのだ。
ただ、難しいのは、「お金を貯める方法」や「お金を増やす方法」については様々なところで情報発信されているのだが、「お金を使う計画」については、これ、という情報があまり見当たらない。
その理由は、「お金を使って得ることの出来る感情の変化」は、人によって千差万別で、正解というものがないからだろう。
「お金を増やす」や「お金を貯める」であれば、数字でその価値が確認出来るので、ゴールを設定することが簡単だ。
一方で、「お金を使う」ことによって得られる価値というのは、その人の「感情」に依存するところが多いので、ある人によっては正解であっても、ある人によっては正解ではないからだ。
例えば、食通の人が一流寿司店で食事をして「幸せだ」と感じるかもしれないが、添加物が大好きでマクドナルドで三食を済ませているような人が同じ寿司屋で食事をしたら、「味が薄いな」くらいにしか感じず、その結果「高い金払って食うものではないな」と、残念な気分になる可能性がある。
その場合、せっかくお金を使ったにも関わらず、その瞬間その人の人生の景色は「グレー」くらいの色彩で色付けされてしまうのだ。
こんな感じで、お金を使って人生の景色を鮮やかにする、ということには正解というものが存在しないのだ。
だからこそ、必死で稼いだり投資で増やしたりしたお金を、「いかに人生の景色を鮮やかにする」ために使うのか、という点をきちんと真剣に考えることは、誰にとっても重要なことだと言えるのかもしれない。
そして、それは出来るだけ早めにやっておいた方がいいだろう。
なぜなら...。
ー人は皆死ぬのだからー
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