人を殺した人は少ない。
魚を殺した人はそれよりずっと多い。
人を殺した時に流れる血は赤い。
魚を殺した時に流れる血も赤い。
魚の鰓から流れる血は赤い。
バタバタと暴れながら血を流す魚は儚い。
時間を掛けながら老いていく人も儚い。
解体された魚の身は柔らかい。
埋葬された人の骨は硬い。
相違点を比べることで幸せを感じる人は醜い。
相違点を比べることが出来ない魚は賢い。
魚を解体しながら流す涙は冷たい。
刺さった棘を抜いた時に飛び散る血は赤い。
棺桶に入る人は冷たい。
棺桶に入らない魚も冷たい。
人の血は赤い。
魚の血も赤い。
人の血が黒い。
魚の血も黒い。
解体された魚は、動かない。
休日のダイソーで買い物をしていた。
親子連れが買い物をしていた。
子供が幸せそうな顔をしていた。
不幸せそうな顔をしていた男を思い出していた。
その男は小さな工場を経営していた。
その男は小さな工場を失った。その男はお金を失った。その男は車を失った。その男は友人もほとんど失った。
その男は、釣竿を持っていた。
その男は無表情だった。たばこを吸っていた。セブンスターだった。煙を吸っていた。
夜の海は生臭かった。釣竿の穂先が揺れていた。風で揺れていた。風で揺れていなかった。微かな振動だった。男はそれを知っていた。
瞬間的だった。スローモーションだった。竿の関節が曲がった。カーボンのきしむ音がした。
魚が釣れた。唇に細い金色の針が貫通していた。ライトで照らした。細長い魚の口に金色の針が貫通していた。
魚の鰓から血が流れていた。ライトの光で赤色を識別出来た。闇夜に落ちると黒く変色した。
その男は無表情だった。その男は釣竿を手放した。その男は煙を吐いた。白い靄が闇夜に消えた。
魚は釣れる前に釣られていた。その男は釣れる前に魚を釣っていた。魚はすでに釣られていた。
魚の鰓からたくさん血が流れた。
魚が動かなくなった。
その男がタメ息をついた。
その男が死んだという話を耳にした。
少し、悲しくなった。
生まれる。海水を飲む。体をうねらせる。それを繰り返す。
その結果、虫は成長する。
成長した虫は船で輸送される。トラックで運ばれる。酸欠状態の海水に入れられる。
思考はない。こだわりもない。後悔も、恐らくはない。
客が来る。プラスチック製のパックに入れられる。お金が差し出される。虫は引き渡される。
すぐの場合もある。しばらく時間がかかる場合もある。虫は体をうねらせる。
その時が来る。
針先が体にささる。緑色の血が流れる。虫は体をうねらせる。酸素が充填された海水にさらされる。緑色の血が流れ続ける。
魚が匂いを嗅ぎつける。虫は体をうねらせる。魚が虫に食らいつく。魚の口に針が貫通する。
魚がもがき暴れる。虫はまだ体をうねらせる。分厚い海面が近づく。魚がもがき暴れる。
虫の命が、ようやく途絶える。
最後に、食物連鎖の話をする。
魚の話をした。男の話をした。虫の話をした。だから最後に食物連鎖の話をする。
虫は海水を食べる。魚は虫を食べる。人は魚を食べる。
この過程を経て人の血は赤く染まる。生まれた時から赤い。生まれる前から赤い。生む人の血は赤い。
魚の血は赤い。人の血は赤い。虫の血は、赤くない。
魚がアダプターになる。魚が絵具になる。魚が虫の色を変える。変色した虫が人の血を赤くする。
虫がうねる。魚が暴れる。人がそれを解体する。バラバラに解体する。
骨を切断する。肉をスライスする。内臓を抜き取る。赤い血が流れる。
食物連鎖は続く。人から先に続く。人と人に続く。その繰り返しによって人の血は赤い。
昔いた男の言葉を思い出す。
かすれた声を思い出す。
夜の海の生臭い匂いを思い出す。
魚の鰓から流れる血を思い出す。
赤い血を思い出す。
男の口が、ゆっくりと開く。
「俺は、魚を食べたことがない」