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バベルの塔・ブログは人の脳を巨大にする

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カリカリ、カリカリ。

昔、おいらは毎日日記を書く習慣を持っていた。まだおいらが純粋だった小学生の頃のことだ。その日あったことや好きな女の子のこと、とにかく毎晩寝る前に日記を書いていた。

その静かで落ち着いた時間はおいらの中で極めて大切な時間だった。自分の思考を整理し、幼いながら感じているストレスや喜びを密かに書き出す喜び。日記を書いている時間はまぎれもなく自分自身という存在を確認するかけがえの無い時間だった。

しかし、とある日の夕食のとき、衝撃的な事実が発覚した。

「かぶ~、あんたアケミちゃんのこと好きやねんよな~」

母親が発した一言に体が凍り付いた。おいらが同じクラスのアケミちゃんに密かに好意を寄せているという話はトップシークレットで誰にも話したことはない。もちろん、母親にもだ。

「なんだ、カブはませガキだな」

父親がにやにやしてそう言う。

「なんで、なんでそんなこと」

「だって、あんた日記に書いてるやない」

一瞬耳を疑った。まさか母親がおいらの大切な大切な秘密の日記の読者だったなんて。

「な、なにしてんだテメー!!」

「でも、アケミちゃんに借りた消しゴム食べるんはあかんよ。そんなことしてもアケミちゃんは振り向いてくれへん」

その日を境に、おいらは日記を書くことをやめてしまった。

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紀元前300年頃、古代エジプトのアレクサンドリアにはその当時の最高域の知識が集められた図書館が存在していた。

アレクサンドリア図書館。そこは古代世界の科学や建築技術、医療、文学など様々な文献が蔵書として保存されていた知識の宝庫のような場所だった。アレクサンドリアというのは古代世界における交易の中心都市であらゆる土地から富が集まる場所だったので、その富を存分に駆使して世界各国から膨大な書物が集められていたのだ。

現代で言えばGoogleのような場所だ。そこに行けば全てがわかるというようなところだったのだ。ただし、古代世界ではそこにアクセスできる人間はごく一部だった。昔は知識というのは今以上に貴重な資産だったので、誰にでも開かれていたわけではない。

知識は実は金以上に重要なものだ。なぜなら知識が金を生み出すからだ。例えばエクソンモービルの事業を例にとっても、石油事業を行うにはまず「重油を精製すればガソリンや軽油になる」という知識が必要だ。今ではごく当たり前のことだが、はるか昔には重油を精製すればガソリンになるということは知られていなかった。

重油を精製すればガソリンや軽油になる、という知識は様々な知識によって構成されている。まずは重油は可燃物であるという知識、そしてその重油を精製する手段という知識、そして生成の方法を変えることでガソリンや軽油と種類を分けるということができる知識。いくつもの知識がなければガソリンさえ作れないのである。

昔は知識というのは口頭で伝承するという形が一般的だった。だから古代の日本には語り部という話を伝承することが仕事の職業まであった。しかし、文字が発達して文書が書けるようになったことで知識の拡散手段は飛躍的に広がっていった。

紙が高級品であり、印刷技術が発展していない内は文明の広がりはまだまだスローだった。しかし近代になり印刷技術が発展すると他国で起こったことや革新的な発明などが一気に世界中で共有できるようになった。それでも、発信できる人間が限られていることや出版社など発行体のフィルターがかかっていることで情報は一部抑制されていた。

情報が一部抑制されている状態はテレビが出てきても変わらなかった。なぜならテレビで放送する放送番組には制作会社やテレビ局や倫理委員会のフィルターがかかっているからだ。つまり生の情報ではないのだ。

それらを完全に破壊してしまったのがインターネットだ。インターネットが登場して以来人々の知識は爆発的な広がりを見せ始めている。まさにノーボーダー。誰もが様々な知識にアクセスできるようになってしまったのだ。

そして、その様々な知識の中でも最も生の情報に近いのが個人が発信している情報なのではないかと思う。様々な媒体がHPやSNSで情報発信をしているが、そこには大体フィルターがかかってしまっている。しかし個人が情報を発信しているブログ等はそれがない。

アメーバブログなどの運営会社に依存するブログは規制(過激な表現を規制する程度だが)が少しあるが、ワードプレス等で運営されている個人のブログにフィルターなど一切ない。ということは、はるか遠くに離れた人の生の知識や体験をブログやSNSにアクセスすれば一瞬でインプットしてしまうことが出来るのだ。

これは本当にすごいことだ。一昔前であれば一部の限られた身内しか知ることが出来なかった成功者の成功体験や知識が一瞬でインプットできてしまうのである。情報を取捨選択する必要があるが、無料で誰でも簡単にそんなことが出来てしまう世の中というのは昔の人たちからしたら考えられない世界だろう。

成功者の中には気前よく自分の知識や体験をネット上で後悔してくださっている方々がたくさんいる。ググって(Googleで調べて)わからないことは無いと言われるが正にその通りだ。必ずと言っていいほど誰かがどこなに答えかヒントを書いてくれている。

そう考えると、我々は巨大な脳をみんなで共有しているという風に考えることも出来る。そこにアクセスすれば、成功のきっかけをつかむことが出来るのだ。最近ネットに触れる時間が増えれば増えるほどそれを実感している。

スマホが登場したことで日常的にネットに接続することが可能になり、巨大な脳がより身近になったのだ。

Googleは検索エンジンを運営しているのではなく、完全なAIを作っているのだと言われているがそれは真実だろう。検索エンジンを通じて膨大な数のサイトを支配しビックデータを集め続けているGoogleはもはや神に近い存在と言ってもいいかもしれない。

ところで、旧約聖書に書かれているバベルの塔という有名な話をご存知だろうか。同じ一つの言語を話す人々が神々のいる天まで届くほどの塔を建設しようとしたことに神が怒り、人々を「違う言語しか話せないようにして」バラバラにしてしまったというお話だ。

この聖書の話を分解して整理すると、①人々が同じ言葉を話せば神にもなりうる可能性があること、②そして神はそれを決して許さないこと、が書かれているとも理解できる。そして今人々は人知を超えた知能=AIを作り出そうとしているし、インターネットによって同じ言語を話しているともいえる(知識の共有という面で)。

この状況が臨界点に達したとき、つまり人間がバベルの塔=完全なAIを完成させてしまったときが人類滅亡へのカウントダウンが始まるときなのかもしれない。

そんなことを考えてなんとなく怖くなってしまった。

ぶるぶる。

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